ちょっとひとやすみ

▼「記憶に残る」とか「記録に残る」という言葉を使うことがある。私自身は初めて使うが、私は記憶に残ること、記録に残ることができているだろうか。別に自分自身はそんなことにこだわりはないが、受け取る側にすると「あの神父さんの説教は忘れない」と言われれば悪い気はしないものだ。
▼記憶に残っている挨拶はある。伊王島、馬込小教区で馬込教会司祭館の新築で大司教様をお招きし、祝別と記念ミサをしていただいたときの挨拶だ。経済問題評議員の挨拶を私が代筆し、経済問題評議員がそれを30回も練習して読み上げてくれた。30回も練習すれば、それはもう本人の挨拶のようなものだ。
▼これ以上の挨拶は、生涯用意することはできないと思うが、そんなことを言うと田平教会献堂百周年を成功させようと粉骨砕身働いてくれている実行委員会の皆さんの士気をそぐことになる。もう一度ねじり鉢巻きで、挨拶を考えることにしよう。
▼記憶に残る説教はあるだろうか。説教に関しては、今が記憶に残る説教をしていると思う。「脂がのった」というか、昔では話せなかったことや、昔では湧いてこなかった発想が盛り込まれて、それなりに記憶に残ってくれていると思う。
▼あえて一つ、と言われたら、それは「銀祝記念ミサ」の説教だろう。田平教会の皆さんは、鯛之浦でのミサにあずかった人だけが聞いた、貴重な説教である。残念なことに、ICレコーダーを持っていくのを忘れてその場の録音は残っていない。返す返すも残念である。文字通り、「記憶にのみ残っている」説教である。

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今週の1枚
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第547回目。カープも勝ったり負けたり。これでも飲んで、喝を入れるか。

詳細は、「こうじ神父今週の説教」(ブログ)にて。

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