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18/01/01(No922)

▼わたしたちは一年の初めにどれくらい先を見越しているのだろうか。人それぞれだとは思うが、わたしは3ヶ月くらい先を見越して考えている。もっともそれは、90日後までの毎日のスケジュールを見越しているわけではない。
▼たとえば今年の復活祭は何月何日になっているか、それにすぐ返事ができるか。そういう大枠のことである。ちなみに今年の復活祭は4月1日である。そこから逆算すると、3月の第3週あたりには黙想会を組む必要がある。
▼復活祭のおよそ2週間前には、長崎教区内の人事異動が明確になる。ある人にはもっと早く情報が入るのかもしれないが、わたしのように人事に興味のない人には入って来ない。もっとさかのぼると、3月に入るとソワソワする人が出てくるという計算だ。
▼あるいは復活祭2週間後には転勤が実施される。地区の司祭の顔ぶれが変わり、どんなことに強みの出る地区なのか、顔触れを見ればおよそ見当がつく。その中で伸ばせるところ、補い合うべきところ、いろいろ考えながら月に一度知恵を絞るために集まる。
▼黙想会が3月の第3週だとすると、黙想会の説教師には3ヶ月前には依頼する必要が出てくる。12月初めだ。平戸地区は2月第3週に堅信式が組まれている。堅信を受ける子供達(おもに中学2年生)は、1月終わりか2月初めには堅信を受ける準備ができているか試験を受ける。試験問題をわたしは2学期の終わりごろに配った。
▼さまざまな案件を、およそ3ヶ月先を見ながら考える。今年は5月13日に、献堂百周年を予定している。その日まで、一つずつ解決していく課題があり、それがまた楽しみでもある。



18/01/07(No.923)

▼年賀状が送り返されてきた。「あて所に尋ねあたりません」だそうだ。毎年このような年賀が何枚か発生する。昨年末には「新年のあいさつを控えます」と連絡してきた恩人にはがきを出して、それも返ってきた。家までわかっている住所なのに・・・と思った。
▼これだけ進歩した世の中なのに。こんなちょっとしたことで残念な思いになる。新年早々湿っぽい話だが、どうにかならないものか。今年は返却された年賀状を、問い合わせてもう一度郵便で送ろうと思う。
▼お年玉をあげた侍者たちに、「お年玉たまったか?」と聞いたらほぼ間違いなく「たまった」と返事が来た。そんなにたまるものなのだなぁ。わたしの財布からは5万5千円も飛んで行った。5万5千円分手伝ってくれたからいいのでは?
▼週が明けるとさっそく集まりが3つも4つも5つもやってくる。どれも外せない。5月まで突っ走ることになりそう。本当はあっという間の時間の過ごし方の中に、ゆっくり流れる時間、止まっている時間を置きたいのだが。
▼昨日、教会信徒が亡くなり、力不足を感じ残念な日だった。今日、珍しい人が訪ねてきた。毎日目まぐるしく変わる。変わらない真っ直ぐな軸が、自分の中にあるか。ぶれずに、その軸を保ち続けたいものだ。



18/1/14(No.924)

▼新成人が1月1日9時のミサで祝福を受けた。わたしより31歳若い。30歳も!愕然とする。認めたくないものだから、いろいろ馬鹿なことを考える。たとえば1月28日の地区対抗駅伝大会に出たいなぁとか、その2日後に司祭団マラソンに出ようかなぁとか。
▼地区対抗駅伝はまじめに走ろうと思うが(真面目に走ってもビリに違いない)、司祭団マラソンには「田平教会献堂百周年」という文字をラミネートしてウエアに留めて走ろうと思っている。ポスターとか、そういう正当な方法もあるだろうが、わたしは馬鹿だから、自分の売り込みと、教会の行事の売り込みを同時にやろうという魂胆だ。
▼寒いからなのか、猛烈なペースで教会信徒が亡くなり、葬儀を引き受けている。日曜日やお休みを入れる月曜日に葬儀をすると、曜日も分からなくなり、一週間ペースが崩れたまま過ごすことになる。曜日が分からない一週間は、体に良くないことが実感できた。
▼海上自衛隊では、曜日が分かるように決まった曜日、カレーが出るそうである。何曜日なのかは知らないが、食事で曜日を確認している司祭をわたしは知っている。食事で曜日をお知らせするのはけっこう使われているようだ。
▼こう葬儀が続くと、葬儀の説教はつらくなる。悲しい面持ちで葬儀をするのもマンネリ化する。むしろ、思うところをそのまま話し、復活の門前に送り出したと思って晴れやかな顔で送ることにしよう。
▼自画自賛だが、葬儀の説教がよかったといわれた。話した本人の「出来栄え」としてはイマイチだったのに、その人たちには心を打つ話になったらしい。そうだとすればそれはもうカミワザ、神がそのように感じさせたとしか言いようがない。



18/01/21(No.925)

▼先週「地区対抗駅伝に補欠で登録された」という話を入れたかもしれないが、その話を説教の枕で話したら、金曜日に登録してくれた地区の監督がまたやってきて、「選手でお願いします」と相談に来た。
▼断る理由はないが、正直な気持ち、「補欠でよかったなぁ」と思っていた矢先だったので、「これは大変なことになった」と思った。わたしにとっては一大事である。一斉スタートの区間は教会の目の前を通るコース。ほかの選手全員が通過した後に、トボトボと追いかけるわたしがすでに目に浮かぶ。
▼考えてみれば駅伝の襷(たすき)をつなぐのは小学生以来だ。40年も駅伝に出たことがなかったわけだ。中学生から神学校暮らしをしていたわけで、当然と言えば当然だ。地域に献堂百周年を知らせるきっかけになればという思いだったが、思い襷になりそうだ。
▼声をかけられたので土曜日から8日間、実際のコースに出てみようと思う。土曜日さっそく出てみたが、エライことを引き受けてしまったと実感した。
▼スタート地点から教会までのなだらかな登りが、スタート地点に歩いていくときは緩やかに見えたのに、いざスタートしてみると傾斜は2倍に見える。愕然とした。8日間で練習が間に合うはずもなく、穴があったら入りたい気分である。
▼それでも、恥を覚悟で走る。28日の地区対抗駅伝はわたしにとっては通過点だ。30日に五島市福江での司祭団マラソン大会がメインレース。28日にエンジンをかけて、30日にギアを入れるつもりである。



18/01/28(No.926)

▼地区対抗駅伝がやって来た。この文章は前日に書き上げているが、当日はまるで県下一周駅伝のように盛り上がっていることだろう。田平教会が地区対抗駅伝でこれだけ盛り上がることなどかつてなかったに違いない。だからわたしは歴史を築いたのだと思っている。
▼もちろん記録がショボいので、たいした歴史ではないが、歴史の一ページには違いない。何人かの人は地区対抗駅伝が巡ってくれば、「そういえば主任神父さんが駅伝に出てたなぁ」と昔を懐かしむ日が来ると思っている。
▼それにしても急ごしらえでの駅伝はたしかに無理があった。そのあとの司祭団駅伝も含めて、回復のためにはしばらく充電が必要だと思う。充電するためには放電してから。放電するためのいくつかの趣味や計画が湧いてきている。レースに出る前から充電の話だからレベルが知れるというものだ。
▼2月になるとどのプロ野球チームも春季キャンプだ。あー楽しみだ。あーお忍びだ。田中だ丸だ菊池だ。今年こそ。26年ぶりの日本一に手をかけてくれ。ほかの趣味には手を出さないようにして観戦ツアー代を捻出するから、ぜひ今年はファンの願いをかなえてくれ。


18/02/04(No.927)

▼お祈りをお願いしたい。田平教会の高齢の女性が肺炎で命を削りながら病院に入院している。教会のために寛大に土地を提供して駐車場用地を与えてくださった。耳が不自由で、ある時「日曜日の説教原稿をあげようか?」と声をかけたら喜んでくれて、毎週家で読み返してくれる。
▼日曜日の説教原稿は、まさかきちんと読んでくれているとは思っていなかった。ところがいつもていねいに読み直してくれているらしい。わたしはこういう人に支えられて、今に至っていると思っている。だから、もし共感してくれる人がいたら、このおばあちゃんのために祈ってほしい。
▼一方で、「しょうがないなぁ」と同情してわたしに助け舟を出してくれる人にも生かしてもらっていると思う。韓国時代劇ドラマを最近よくDVD鑑賞しているが、王宮で政敵から追放された人が復帰したり、昨日まで手を組んでいた人に手のひらを返されたり、そんな場面を観ていると、「昔も今も変わらないし、人を動かす世界は政治も宗教も変わらないなぁ」と思う。
▼こねて、こね返されて、紆余曲折しながら前進する。それがこの世なのだと思いながら、陰に陽に助けてくれた人に恩返しをする。25年を折り返しとするなら、そういう折り返しをしたいものだ。



18/02/11(No.928)

▼平昌オリンピック、ついつい遅くまで見てしまい、夜更かしをしてしまった。朝はどうしても頭が回らず、少し休ませてもらっていた。そのため説教案を仕上げる時間が1時間くらいずれ込み、昼からの配信作業になりそうだ。
▼昼は昼で、できれば説教案ではない時間の使い方をしたいと思っているので、午前中にメルマガ配信、ブログの更新、ホームページの更新まで終わらせるのが理想ではある。そこまでできていれば、午後に急に病院に呼ばれても、あるいは来訪者の応対が必要になった場合でも、説教のことを気にしないで済む。
▼このような考えに落ち着いたのは、初めて主任司祭になった太田尾小教区の時だった。それまでは助任司祭だったから、任せられた範囲は限られていたが、主任司祭は小教区で起こりうるあらゆる状況に対処しなければならない。
▼「説教が出来上がっていないから病院に来るように言われても無理です」とは言えない。だから、「土曜日の午後は、ない物と思うべきだ」という結論にたどり着いたのである。もちろん何もしないのではないが、すぐにその場を離れることができることにとどめて午後は過ごしている。
▼小さなことだが、主任司祭になってより「司祭はもう一人のキリスト」「司祭は仕えられるためではなく、仕えるために存在する」そういうことが実感としてわかるようになってきた。オリンピックの厳しい練習を積み上げた人にはかなわないが、司祭もどんな環境にあっても結果を出せるよう、日々自分と向き合っている。


18/02/18(No.929)

▼皆さんにお祈りいただいたおかげだろうか。病者の塗油の秘跡を授けたおばあちゃんは、その後も病院での入院生活だがひとまずの危機は脱したようだ。神が定めた時はだれにも分からない。毎日神に自分をゆだね、明日を思い煩わないで生きようではないか。
▼話変わるが、司祭生活25年の中でまともにぶつかってまともに言い返された経験が3度ある。1度目は結婚準備の勉強会を引き受けたカップルが頻繁に勉強会を休むので、このままでは結婚式を引き受けられなくなると本人に伝えたら、男性側の父親から電話できついことを言われた。
▼「前の神父が長男の結婚を引き受けてくれた時は簡単に勉強会を済ませてくれたぞ。お前はそれでも神父か?」全く受け入れられなかったが、念のため父親の家を訪ね、もう一度勉強会の大切さを説明した。家を訪ねて初めて知ったが、その家は布団屋さんで、中学1年生で神学校に入学したときにお世話になった店だった。
▼2回目は、ある離島でのこと。人からミニトマトを提供してもらった。その人が「キンカンが手に入ったので、どうぞ食べてください」と言う。どう考えても黄色いミニトマトだったが、本人には「キンカン」らしい。わたしは言った。「食べるまでもなく、これはミニトマトだよね」
▼その人はむきになって「何を言ってるんですか。これはキンカンです。昨日わたしは家で何個か食べたのですから。」「じゃあますます、トマトだよね。わたしの実家は裏庭にキンカンが植えてあったから、間違いようがない。キンカンだと言うあなた、病院に行って診察してもらったら?」
▼これには相当頭に来たらしく、「わたしを侮辱するのですね。お前が病院に行きなさい!」と言い返された。しかたなくその人に果物ナイフでミニトマトを半分に割ってもらい、目の前で食してもらった。そこでようやく「すみませんでした。これはトマトですね」と認めてくれた。
▼3度目はついこの前である。主任司祭として、場合によっては強く言って、事の重大さを理解させるために出た行動の顛末。ある人に電話をかけ、語気を強めて「司祭館に来てください。すぐに来てください」と言った。その人は何か言っていたが、それを遮って「すぐに、今、来なさい!」と言った。
▼するとその人は、わたしにとって生涯忘れない言葉を返してきた。年下の者から話を遮られた上に強い口調で命令された年配者が、堪忍袋の緒が切れて吐く言葉である。想像に任せるが、わたしは最終的にこう思った。「この人は育てたい。」つまり、主任司祭が強い覚悟で司祭館に来なさいと言ったなら、「これは余程のことだろう」と察し、飛んでくる。そういう人に育てたい、と思ったのである。
▼そこまで育つかどうか。これは主任司祭の力量だ。育たずに終われば、わたしはその程度の司祭ということだし、育てば、何事か教会で起こったらすっ飛んでくる、そういう芯の一本通った信者を田平教会に用意してあげることになる。百周年の収穫が、当然予想される場所とは別に、思わぬところであるかもしれない。



18/02/25(No.930)

▼ものすごく長い一日だった。朝6時のミサ、音訳図書を利用する人々に届くする15分間の宗教講話(これは会員のために毎週用意する朝礼動画とは別)、教会が毎月発行する「瀬戸山の風」に提出する主任司祭の原稿提出。
▼11時の葬儀ミサ、午後から説教を練り始め、午後3時過ぎに納骨、そしてまた説教づくり。結局短めになってしまったが、ようやく説教案を書き上げて夜7時のミサ。ミサ後、夜8時からはメルマガ配信、ミサの録音の編集とアップロード。目が回りそうだった。
▼ちょっと葬式の話を紹介。故人は黙想会や日曜日のミサに出席しては、家に戻ってさっそく母親と黙想会の説教でこんな話をしていた、こんなところに共感したと話してくれていたそうだ。その中で、とても慰められた話があった。
▼「神父さんは小学生の時の過ちを包み隠さず話してくれた。神父になった人が、過去をあそこまで赤裸々に打ち明ける必要はないだろうし、そうする人も聞いたことがない。感心な神父さんだ。」心を打たれた。この話を切り口に、葬儀ミサの説教をしようと考えた。
▼葬儀ミサ。わたしはあえて「すべての民族を裁く」(マタイ25・31-40)選んで朗読し、「お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ」(25・35-36)に触れてこう話した。
▼「個人はまことの食べ物、まことの飲み物、まことの着る物を求めて教会のミサや黙想会においでになり、わたしはたまたま主任司祭として、まことの食べ物飲み物を提供し、まことの着る物をお着せしました。故人は今、神のもとで、『わたしはまことの食べ物飲み物を与えてもらったことがあります』と証言しているのではないでしょうか。
▼与えた側だけではなく、受けた側も証言ができる。与えた側だけが救われて、受けた側が救われないはずがない。きっと救ってくださると信じている。そういう話をした。わたしは旅立っていく人のどこか神に取り上げてもらえそうな点を見つけて、証言するのが使命だと思っている。


18/03/04(No.931)

▼2週連続で金曜日に通夜、土曜日に葬儀ミサとなった。土曜日の葬儀ミサは正直ヘトヘトになる。大司教様も土日はヘトヘトになるくらい忙しいのだろうと思うと、お体が心配である。52歳に間もなくなろうとしているが、大司教様はそれ以上だ。本当にご苦労様である。
▼少し暖かくなってきた。春の兆しは釣りへのお誘いだ。九州では「サクラ鯛」とか「上り鯛」と言ってこの季節を楽しみに待っている。冬の水温低下でじっとしていた鯛が、水温上昇とともに活発になる。「荒食い」とも言われる旺盛な食欲で餌を捉えようとするわけだ。
▼たいていこの時期に鯛釣りを覚えた人は、「鯛は簡単に釣れる魚」と思っている。実際この時期は面白いように釣れるので、そう勘違いしても不思議ではない。だが実際の鯛はかなり警戒心が強く、春に簡単に釣ったから年中簡単に釣れるかというとそうでもないのだ。
▼そういう駆け引きを、ようやくできるようになった。問題は釣りのための「時間と都合」である。時間があっても都合がつかない。今すぐ行きたくても時間がない。なかなか時間と都合が合致しないので、困ったものである。
▼これから送り出す高齢女性の家族に見覚えのあるシスターがいた。なんと滑石教会時代に幼稚園の主任だったシスターである。20年近く時が過ぎて、シスターのお母さんの教会に赴任し、見送ることになった。巡りあわせとは言え何とも不思議なものだ。



18/03/11(No.932)

▼神学院時代、年に一度謝恩会のようなものがあり、学生たちはラテン語科、哲学科、神学科に分かれて劇を上演していた。上級生の劇は、常に教授たちやシスターたち、下級生たちをうならせていたものだ。私も恥ずかしながら、主演女優を7年間務め、役作りについては全く知らないわけではない。
▼当時は、主演女優であるから、女優の声を想像しながら演じていた。当時の写真などを見ていると、恥ずかしさで穴があったら入りたいくらいだが、一方でこの時代に身につけたことを今は心の中で生かしつつ、福音朗読を果たすことができる。大変貴重な時間だったと思う。
▼聖書の朗読に限らない。聖歌を歌うとき、たとえば「神はわたしを救われる。そのいつくしみをたたえよう」という聖歌を歌うとしよう。「神はわたしを救われる」と歌いながら、「実際はどうか分からないけどね〜」と思っているなら、その歌声は何を歌い、何が聞こえてくるだろうか。むなしい歌声になるに違いない。
▼だが、現実には「この人はどんな思いで朗読しているのだろうか」と疑問に思う朗読もある。「だれに語りかけているのですか?」「あなたの朗読をだれか聞いてくれているのでしょうか?」とつい思ってしまうことがある。いちばんそば近くで、ミサをささげる司祭が朗読を聞いている。朗読者の声が、いちばん近くで聞いている司祭の心を打たないなら、どうしてその朗読が会衆の心を打つだろう。
▼ピラトの妻の部分を朗読したと例に出したあの時の朗読は今も私の耳に、記憶に残っている。ぜひ誰か、ピラトの妻の場面にすんなり入れる朗読を読んでくださり、私の記憶を書き換えてほしいと願うのである。



18/03/18(No.933)

▼百周年の記念誌も、いよいよ大詰めになってきた。大量の文書、写真、目を通すのも大変だが、委員の皆さんがよくやってくれている。ありがたいことだ。この一年で、多くの信徒が教会の節目をより強く感じ、責任も担ってくれた。神の民の成長を見ることができた。
▼数日前に「一粒の麦が死ねば、多くの実を結ぶ」このみことばを何とか伝えられないだろうかと考えていた。何がきっかけで説教案をまとめることができたのか思い出せないが、田平教会に来たから、考えがまとまったのだと思う。「まさにこの時のために、私は来たのである。」
▼黙想会がいよいよ近づいている。説教師はご自分の教会を務め終えたばかりで本当にご苦労だと思う。自分が赴任している教会とはまた雰囲気も違うだろうから、どうか心置きなく話してほしい。私との因縁の話をなさるだろうと予測されるのだが、聞いてみたい気もするし、恐ろしくて聞けない気もする。そこはお手柔らかに。
▼考えられないようなことをすることが最近多くなってきた。この前も、口を開けたままパソコンに向かって眠っていた。服は汚れ、なんとも見苦しい格好になっていた。父親を看取るしばらくの間に、口元を拭いてあげたりしたのを思い出した。格好悪いけれども、いつかは誰かにそんな場面を見られるのだろうし、その時にはお世話になる覚悟も必要だ。
▼多くの実を結ぶ生き方に招かれた。せっかく招かれたのだから、多くの実を結ばなければ責任を問われる。まだ洗礼を受ける可能性のある人は田平小教区にも残っている。その人たちが心を打ち明けてくれるその日のために、人を引き寄せる魅力的な人、人を引き寄せる司祭館であり続けたい。



18/03/25(No.934)

▼黙想会が無事に終わった。世の中の人は自分の体の痛みがある時に「痛い」と言わない人か、「痛い痛い」という人か、どちらかだと思うが、今年黙想会の説教師に呼んだ神父様は後者だと思った。
▼「ゴホゴホ。俺は最後まで務まらないかもしれない。」何度もそう言っておられた。司祭館で何度弱音を吐いていたか、だれも知らない。私はそれをなだめながら「最後までよろしくお願いしますよ。頼みますから」と尻を叩いて毎度の説教に送り出した。
▼結果はどうだったか。咳はしていたかもしれないが、元気そのもので熱気は聖堂から待機している司祭館まで届くくらいだった。「俺はダメかもしれない」そういう人に限って長く生きるとよく言ったものだが、あの先輩はその典型的な例だと思う。
▼それでも、それを割引しても、百周年を間近に控えた田平小教区の黙想会をお願いするのはこの先輩以外に思いつかなかった。それだけ固い説教、確実な説教をしてくれると思っていたからだ。
▼私のように何かに包んで「わかる人はわかってね。わからない人はわからなくてもいいよ」みたいな説教をしない。そこに目を付けたわけだから。黙想会の効果はどれくらいかかって現れるか分からないが、少なくとも、百周年の直前にねじを締めなおしてもらったことだけは間違いない。心から感謝したい。


18/03/29(No.935)

▼イエス・キリストをどう呼ぶか。これが今年の聖週間から聖なる三日間までの説教の切り口となっている。ひょっとしたらそれを見抜いておられる読者もいるかもしれない。日曜日にはぼんやりとしたイメージだったが、月曜日にははっきりとそうなった。
▼いろんな具体化の方法があると思うが、頭の中にあることを言葉で言い表そうとしたときに今回の切り口がはっきりした。短い言葉で頭の中にあることを説明しようとしたことで、頭の中にあったことが明確になったのである。
▼多くのカトリック信者は聖週間もそれほど通常の日々と変わりなく暮らしているかもしれない。だが典礼を執り行う司祭は、本当に忙しい一週間である。そうでない司祭もいるかもしれないが、私は説教の切り替えのためにふだんの一週間の何倍も苦労する。
▼いわばそれは、司祭にとっての「死と復活」なのかもしれない。教会の中で一人くらいは「死と復活」をくぐる人がいてもよい。イエスが体験したことを体験して、教会家族に分かち合うのはそれなりに意味がある。だから司祭が、率先して「死と復活」を体験し、分かち合っているわけだ。
▼一週間に五つの説教を準備する。死ぬような思いだ。しかし四回目、五回目の説教は復活の説教である。復活の説教まで準備すれば、司祭も復活できる。毎年、少しずつでも自分なりの「死と復活」を経験して、それを教会全体で分かち合う。こうして教会は豊かになるのかもしれない。



18/03/30(No.936)

▼聖木曜日に聖金曜日の原稿を書いた。聖木曜日に聖金曜日の気分に切り替えて書く必要がある。そして数時間後には聖木曜日に復活徹夜祭の気分に切り替えて原稿を書く。この切り替えにエネルギーを消費すると言ったら信じてもらえるだろうか。
▼残念ながら信じてもらえないかもしれない。けれども自分の中では、聖木曜日の主の晩餐の席に立ち会い、聖金曜日の主の受難に立ち会い、その後に復活の場面を弟子たちとともに目撃しているつもりである。しかもほぼ一日で。だから私にとってはエネルギーを相当消費している。
▼復活祭を無事に迎えられたら、いったんネジを緩めたい。何か気分転換ができることを見つけて、頭の中を空っぽにして、それから次の大きな通過点である献堂百周年に向かうことにしよう。まずは釣りか。あるいは実家に帰らせてもらうか。実家に帰るのは間違いないが、実家では寝るだけで、ほとんどの時間前任地で釣りをするか。
▼まぁいずれにしても限られた器であるから、一度空っぽにしてそれから前に進みたいものだ。黙想会の時に痛いほど経験したが、説教師の接待やゆるしの秘跡のお手伝いの神父様の接待をしただけで疲れてしまった。たまたま土曜日に終わったが、土曜日は間髪入れずに受難の主日の典礼だった。
▼切り替える暇もなく、聖週間に突入した。だから今年は相当疲れた中で聖週間を迎えている。疲れているとろくなことがない。典礼の流れを間違えたり、大事なことを見落としたり、説教の録音をし忘れたり。
▼思い出したが、故郷鯛之浦教会での銀祝ミサの時、ICレコーダーを忘れてきてしまった。生涯悔やまれる出来事だった。年齢のせいにはしたくないが、きっと疲れていたのだと思う。


18/03/31(No.937)

▼主のご復活おめでとうございます。司祭館は一足先に聖金曜日に復活。これは教義のことを言っているのではなく、聖金曜日に復活徹夜祭の説教を書いたので、こう言ってみたのだが、復活の視点から様々な出来事を見直すと、違ったものが見えるかもしれない。
▼「不思議な大漁」という出来事が福音書には収められているが、共観福音書はこれを「漁師を弟子にする」出来事として採用しているが、ヨハネ福音書は復活した主が弟子に現れる一場面として描いている。復活した主の働きとして読み直すと、出来事は違ったことを教えてくれるということの表れだろう。
▼かなり前から気になっていた司祭間の寒さの問題。玄関を開けると夏でも冬でも司祭館内から玄関に向かって風が出ていく。これでは部屋が温まらないと会計さんを通して大工さんを呼んでもらった。大工さんは蚊取り線香の煙が流れるのを見ながら、主な原因を突き止めてくれた。
▼主な原因は、外から司祭間の床に入った空気が、床下から吹き上げて、それが玄関に流れているということだった。百周年の建物ゆえ、廊下など床板は隙間があって、そこからどうやら噴き上げているらしい。合板の床などは問題ないのだが、廊下はたしかに隙間がある。確かめることができたのはまず第一歩だ。
▼復活祭を迎えたのだから、お祝いをしよう。主の名を呼び、大いに喜びあおう。お魚で祝うか、肉で祝うか。賄さんが腕を振るってくれるに違いない。復活祭のごちそうって、なんだ?



18/04/01(No.938)

▼聖週間に賽銭泥棒がやってきた。鍵をこじ開けるのが難しくて未遂に終わったようだが、警察がやってきて現場検証と監視カメラの記録を持ち帰った。泥棒よ、監視カメラが作動しているから田平教会は狙わないほうがいいぞ。
▼それにしても監視カメラの画像は驚くほど鮮明だ。ある日のミサの様子を見させてもらったが、よほど私の眼鏡をかけた視力よりもよく見ることができる。あれでは賽銭箱をいじったりすれば、だれなのか一目瞭然である。
▼監視カメラが聖堂内に設置されているのは、本来は喜ばしいことではない。祈る場所だから、祈る姿を神さま以外に見られているのは気持ちの良いものではない。しかし現実に賽銭箱をこじ開けたりする人がいれば、防犯上必要にもなる。田平教会の賽銭箱がそんなに興味があるのなら、主任司祭に聞きに来てほしい。大した額ではないのだから。
▼田平教会献堂百周年を節目に、何かこれまでとは違う一歩を踏み出したいと思っている。自分たちが迎えた献堂百周年から、何か一つでも新しい芽が出て、実を結ぶようにしたいと思っている。そのために私はここにいる間に何か手を打ちたいと思う。田平教会の信徒にも、何ができるか考えてほしい。
▼実にたくさんの人が、今回の献堂百周年を支えてくれている。田平教会信徒、この教会を故郷に持っている人、この教会に特別な思い入れがある人。その人々の思いにこたえるためにも、何かができればいいと思う。
▼多分その中で分かりやすい働きかけは、「人を育てる」ということだろう。司祭・修道者がその先頭だ。あるいはカテキスタとか、活動団体の会員に新メンバーを加えるとか、「人を育てる」ということは、仮に最後までたどり着けなくても、その過程だけでも価値がある。そうだ。ご復活を機に、召命について一緒に考えてくれる親子を探すことにしよう。



18/04/08(No.939)

▼メルマガ配信が遅れてしまった。中には心配をしていた人もいるかもしれない。ようやく夕方4時半に説教をひとまず書いて、それからこのコーナーを書いている。私たちは呼び止められてようやくお役に立てる、そういうことが多いので、こればかりは致し方ない。
▼イエスは呼び止められて働き始めた人だろうか。違うと思う。しばしば人を呼び止めて働きかけた。漁師を弟子にするときも、マタイを弟子にするときも、ヤコブの井戸でサマリア人の女性に福音を語る時も。
▼ひょっとしたら、ここが日本における宣教の致命的な部分なのかもしれない。私たちはどれだけの人を、信仰を語り合うために呼び止めたのだろうか。一度も呼び止めたことがなかったのではないだろうか。するとイエスの働きはいつ、この日本に実を結ぶのだろうか。
▼とにかく、働きかけよう。折がよくても悪くても。今回の「ちょっとひとやすみ」はこの辺で。


18/04/15(No.940)

▼「記憶に残る」とか「記録に残る」という言葉を使うことがある。私自身は初めて使うが、私は記憶に残ること、記録に残ることができているだろうか。別に自分自身はそんなことにこだわりはないが、受け取る側にすると「あの神父さんの説教は忘れない」と言われれば悪い気はしないものだ。
▼記憶に残っている挨拶はある。伊王島、馬込小教区で馬込教会司祭館の新築で大司教様をお招きし、祝別と記念ミサをしていただいたときの挨拶だ。経済問題評議員の挨拶を私が代筆し、経済問題評議員がそれを30回も練習して読み上げてくれた。30回も練習すれば、それはもう本人の挨拶のようなものだ。
▼これ以上の挨拶は、生涯用意することはできないと思うが、そんなことを言うと田平教会献堂百周年を成功させようと粉骨砕身働いてくれている実行委員会の皆さんの士気をそぐことになる。もう一度ねじり鉢巻きで、挨拶を考えることにしよう。
▼記憶に残る説教はあるだろうか。説教に関しては、今が記憶に残る説教をしていると思う。「脂がのった」というか、昔では話せなかったことや、昔では湧いてこなかった発想が盛り込まれて、それなりに記憶に残ってくれていると思う。
▼あえて一つ、と言われたら、それは「銀祝記念ミサ」の説教だろう。田平教会の皆さんは、鯛之浦でのミサにあずかった人だけが聞いた、貴重な説教である。残念なことに、ICレコーダーを持っていくのを忘れてその場の録音は残っていない。返す返すも残念である。文字通り、「記憶にのみ残っている」説教である。



18/04/22(No.941)

▼田平教会献堂百周年と直接関係はないが、教会正面の広場に植えてあった巨大なヒノキを伐採した。残念ながらシロアリが食い破っていたことが最大の原因だが、この機会でなければ大型の機械を投入することも、多くの人の労働奉仕を得ることも難しいとの判断で、施設整備班が提案し、実行委員会全体で了承したものである。
▼大きさからして、樹齢50年とは言わないだろう。大きな影を作って、夏の暑い盛りには涼しい場所を提供してくれていたが、その点についてはまた別の形で涼を提供できればと思っている。この原稿を書いている時点で、せっせとお父さんたちが手伝い、チェーンソーやクレーンがにぎやかに音を立てている。
▼「21日(土)午前中に作業に取り掛かります。前晩のミサまでには終了しますのでご安心ください。」私は説教を書き上げる貴重な時間なので、ご安心できなかったが、集中して取り組んでみると、夏の盛りのセミの鳴き声のようなもので、音はそれほど気にならなかった。
▼「よくぞ、実行してくれた」「どうしてあんなことをしたのか」人は十人十色なので、同じことに対しても反応は両方ある。それぞれ言い分もあろうが、多くの人で考えて決めたことなので、田平教会を訪ねてくる人も、どうか理解してほしい。
▼変えられないでいるものを変えるのは、時に勇気が要る。何十年も変わらないと、「変えるのは無理だ」とか「変えてから騒動に巻き込まれるよりも、変わらない被害のほうが少ないのではないか」そういう不安を振り払って、主任司祭はある時決断をするのである。



18/04/29(No.942)

▼声の奉仕会マリア文庫を長らく引っ張ってきたシスターが89歳で旅立った。6年の闘病生活。私は寝たきりになってからずっと、シスターはあとどれくらい、この闘病生活が続くのだろうかと思っていた。時には「もうこれ以上苦しんでほしくない。神さまが呼んでくだされば」そう思ったこともあった。
▼けれども、ただじっと寝たきりの時間が長くなるにつれ、「これは、何かをシスターに求めておられるので、闘病生活がこんなに長くなっているのではないか」そう思うようになった。何をシスターに求めておられるのだろうか。長い苦しみは、どんな意味があるのだろうか。ずっと考えていた。
▼「空の手で はだしのままで ついてゆきたい キリストに ついてゆきたい キリストに」いっさいを手放し、身軽にならないと、キリストについては行けない。だから、重荷をおろして、天にはばたく。これがシスターの6年間の闘病生活の意味だったのではないか。
▼ではシスターは、どんな重荷を担っていたのだろうか。それは、「マリア文庫の看板」だったのだと思う。普通に考えれば、修道者であれば修道者の生き方を全うする。ただシスター野嵜は、その上にさらに、「マリア文庫の代表」という看板を背負って、30年近く生きてきた。
▼その看板は、天に召されるためには少し重荷だったのだろう。神は「看板を背負って天に召されるのではなく、一修道者として、修道服一枚で、身軽になっておいでなさい」そう願って、天に召される日がなかなかやってこなかったのかもしれない。
▼6年もの間、この看板を下ろして身軽になり、修道服一枚で羽ばたいていくのに時間を要した。6年の闘病生活は、長すぎた時間ではなく、必要な時間だったのかもしれない。シスター野嵜が看板を引っ提げていたのを「空の手で、はだしのままで」旅立つのに6年かかったのであれば、中田神父はいったい何年必要だろうか。
▼いろんな看板を背負って、いろんな看板を笠に着て「我こそは中田神父なり」と振舞っている。シスターの最期を見ながら、我が身を思った。


18/05/06(No.943)

▼司祭となって25年が過ぎ、初めて(かも知れない)大司教様のご苦労に思い至った。田平教会献堂百周年のすべてをいちばん期待し、心配しているのは、大司教様に違いないとようやく思えるようになった。
▼これまで25年、少なくとも二つの大きな行事で陣頭指揮を取った。伊王島・馬込教会の司祭館建設、浜串小教区福見教会の献堂百周年。たしかに計画は無事に終了したが、私は大司教様がこれらの行事をどのように評価したか、あとで考えることはなかったかも知れない。
▼それはつまり、「主任司祭が主任司祭に巡ってきた責任を果たしたのだから、それで十分だろう」という考えだったと思う。だが今回は、それでは済まないという思いでいっぱいなのである。もともと、カトリック長崎大司教区のすべての財産は大司教様の責任のもとにある財産だ。そこまで考えが至っていたかと問われたら、返す言葉がない。
▼「御覧ください。ほかに二タラントンもうけました。」(マタイ25・22)こんな挨拶を考えているが、本当にそうなったかをよく考えて挨拶を練る必要がある。ほかに二タラントンどころか、預かった金さえも地中に埋めて、非難されるのを恐れて実りがあったかのような報告をしてはいけないのだから。



18/05/13(No.944)

▼土曜日の時点で、雨の匂いがする風が吹いている。金曜日はカラッと晴れた風だったが、土曜日はもう雨を予感させる風である。どうしても日曜日の献堂百周年は雨の中で実施することになるのか。
▼雨が降れば、雨対策を打った行事となる。その場合の打ち合わせも行っている。一つありがたいのは、雨が降れば小学校の運動会は延期になり、子供たちが百周年記念行事の最初に行う記念ミサから参加できるわけだ。
▼今回の説教案は20年くらい前のものだ。滑石教会の時のものに手を加えて配信した。直前の土曜日は百周年行事に忙殺されて、どうしても時間が取れそうにないからだ。そうは言っても、「これ、読んだことがある、聞いたことがある」という人はまずいないと思う。
▼この田平教会の献堂百周年を成し遂げたら、もはや何も恐れることはない。この「何も恐れることはない」ということが、私にとっての献堂百周年記念行事の収穫かもしれない。私たちはめったにないことを取り組むと大きな自信を身につける。私はそれをこの15年ほどで3回経験したことになる。
▼これまでたくさんの方の応援を受けてきた。一人ひとりに心から感謝したい。直接会ってお礼を言うことはできないが、こうした行事の中心にいることができたので、多くの人の心に触れた。自分一人で成し遂げたわけではないが、特に私は、多くの人が献堂百周年に寄せる思いを知ることになった。



18/05/20(No.945)

▼黙想会を受けてきた。札幌教区の司教様が黙想指導をしてくださった。教区の広さに対して、司祭の数が圧倒的に少ないことに驚いた。全く考えたこともなかったが、北海道には今の3倍くらいの司祭が必要なのではないだろうか。
▼説教を聞いていて思ったのは、司教様に対する接し方が長崎教区とはずいぶん違うな、ということだった。長崎では、司教様が投げかけをすれば、全員ではなくてもすぐに応えようと動き出す司祭たちがいる。札幌教区ではどうもそうではないらしい。
▼「北海道」と聞いて私が思い浮かべるのは「トラピスト修道院」なのだが、トラピスト修道院しか知らない私は、札幌教区のことを何も知らないのだと思う。司教様の話を聞きながら、置かれた状況で使命を果たす困難の大きさに、ご苦労様ですと頭を下げるのみだった。
▼司教様の指名を受けるまで、「まさか」とと思っていたと仰っていた。「選ばれるに違いない」と思っていた司教様のことを思い出し、きっと「まさか」と思っていた人のほうが良い働きをするに違いないと思った。「なるべくしてなった」と思っている人に、神さまは力を貸すのだろうか。
▼献堂百周年が無事に終わった。私も「田平教会の献堂百周年に携わる」とは夢にも思わなかった。私の中には設計図はなかったが、霧が晴れると設計図が見えたような気がした、その体験は味わわせてもらった。


18/05/27(No.946)

▼献堂百周年記念事業には、たくさんの方から寄付をいただいた。感謝したい。事業全体でも大きなお金が動いたが、多くの善意ある方々の寄付は、私たちの計画を力強く後押ししてくれた。私たちを信頼して、支援してくれたことを、私たちは忘れてはならない。
▼教会信徒の一人から、「百周年が終わるまで、近寄りがたい雰囲気でしたが、百周年が終わって、いつもの柔和な顔になりましたね」と言われた。たしかに、事業を終えて肩の荷が下りたのか、鏡を見るたびに表情が和らいだと思う。見ている人が必ずいる。ありがたいことだ。
▼記念誌は、百周年当日の写真を含めて作成することが決まった。この記念誌が完成すれば、百周年事業は完了となる。そのタイミングで、慰労会・懇親会を持ちたい。いろんな感想を聞きたいし、上に立つ者にはなかなか届かない声も、役員各位が拾ってくれたらと思う。
▼大きなことを成し遂げた。これは自分にご褒美をあげてよいだろう。最近はバレンタインチョコレートさえ自分にあげるらしい。私のご褒美は決まり切っている。試合観戦で心も体も解放させたい。



18/06/03(No.947)

▼配り終わってから「しまった」と思った話。献堂百周年記念ミサの冊子を製作して、当日使ってから持ち帰ってもらった。すべてが終了してから観想修道会に祭服を新調しようと出かけ、その時のお土産話で献堂百周年のミサの様子などを話そうと冊子を改めて読み返した。その時に印刷ミスに気付いた。
▼「田平教会献堂百周年の祈り」冒頭は「百三十年前、小さな移住信徒から始まった田平の神の民は」で始まるのだが、冊子には「百二十年前」と印刷されている。どういうことだと思ったが、もはや5月13日はすべて終了している。取り返しがつかない。
▼まさか、自分たちが間違っていない個所を間違って製版するとは思わないものだ。二度の校正を主任司祭が一人でしたが、全く気付かなかった。すべてのことを疑ってかかるくらいでなければこのミスは見つけられないだろう。実に口惜しい。
▼私が気付いた時点で、「クイズに正解したら先着五名に『烏賊墨の・・・』の本をプレゼントします」と言おうと思ったのだが、後で聞くとたくさんの人が気付き、典礼の責任者に連絡が届き、祈る前に訂正のお知らせがあったそうだ。危うく何十人も正解者が出て、大赤字になるところだった。
▼しかし、まだ安心はできない。もう一度、目を皿のように見開いて見直せば、何か見つかるかもしれない。さらなる印刷ミスが見つかったら、そこをクイズにして「烏賊墨の・・・」のプレゼントにしよう。著者の枢機卿様、必ず私が買い上げてからプレゼントしますので、ご心配なく。



18/06/10(No.948)

▼日本の教会が大きく動いているような気がする。大阪に二人の補佐司教が選ばれた。さいたま教区にも五年ぶりに教区長となられる司教が選ばれた。説教で述べた通り酒井被選司教は旧知の仲であるので、ぜひ叙階式に参列してお祝いを申し上げたい。
▼最近の動きに関連して、ちょっとした勘違いを経験した。ある小教区内の病院に長らく賄いとしてお世話してくれた信徒が入院していることを聞き、お見舞いに行くことにした。管轄の小教区があるのでそちらの主任司祭に伺いを立ててから行こうと思い、連絡を取った。
▼すると次のような返事であった。「私は新潟にいます。たまたま母親が司祭館の留守番に来ているので、よかったらお茶でもどうぞ。○○病院のお見舞いの人もよろしくお願いします。」「新潟にいます。」私は勘違いをしてしまった。最近新潟の司教が東京の大司教となられて移られたので、新潟の教区長は空席である。さては指名されて、下見に行ったのか?と思ったのだった。
▼後で話を聞けば笑い話だった。その神父様はとある全国会議で長崎教区担当司祭として新潟に来ていただけで、大それた話ではなかったのである。ただ、「それもありだなぁ」と思ったわけで、笑い話が現実になることもゼロではないと考えている。
▼確かに体制は整いつつある。しかしそれと日本での宣教が韓国のような勢いをつけるかということとは別の話だ。空気を入れてもしばらくすれば走ることができなくなるタイヤのように、どこか目に見えない穴があって、空気が抜け、何度試しても刷新されない。どこにその目に見えない穴があるのだろうか。



18/06/17(No.949)

▼なかなか間違えないミスをした。「年間第10主日」を「年間第11主日」で発行してしまった。あとで気付いて、ブログは変更したがメルマガは癖で即時発行をしてしまうので、もう一度出すのが面倒で何も連絡入れなかった。
▼ミスはこれだけかと思ったら、もう一つ申し訳ない誤変換を見つけた。酒井被選司教様が教鞭をとっておられた学校を「聖堂学園」と表記していたが、正しくは「精道学園」である。完全な誤変換。酒井被選司教様はじめ、関係各位にお詫び申し上げる。間違いは認めるが、日本語変換ソフトが幼稚なのだと言い訳したい。気づくことがほとんどだが、考えて変換してないだろ!と言いたくなる誤変換が多いのだ。
▼やはりマイクロソフトの日本語入力ソフトはどうしても不満が残る。お金はかかるが、ジャストシステムの日本語変換ソフトを買うべきかもしれない。あー、カネが。ソフトを一本購入すれば何台ものパソコンがその恩恵を受けていた時代が懐かしい。
▼もちろん権利関係なので尊重するが、パソコンに投入したお金も馬鹿にならない。しかも私の使い方が乱暴なのか、機械そのものが長くもたない。そのたびにデータを引き継ぐのでエネルギーを大量に消費する。パソコンは人間をもっと生産性のある仕事に向けてくれるものだとばかり思っていたが、どうもそうとばかりは言えないらしい。
▼データと言えば、どうしても、どうしても信じられないのだが、エクセルでずっと記録していたお金の管理台帳が3か月分吹っ飛んでしまった。つい最近まで毎週記入していたファイルなのに、本体のファイルは見つからず、ショートカットファイルだけが残っていた。本体ファイルはどこに行ったのか?
▼少し前にも、パソコンの中身がフォルダごと消えたことがあった。よく調べたらマウスでつまんでほかのフォルダに移動させていたのだが、細かい操作をする中で間違ってフォルダを移動させたのだろう。そういう考えられないミスをするくらいだから、うっかり右クリックしてショートカットだけになったのかもしれない。データは保険をかけましょう(笑)



18/06/24(No.950)

▼あと50回メルマガを配信すれば1000号かぁ。予想はしていたが、実際にこんな日が来るとは。毎号の積み重ねとは言え大したものだ。私が取り組んだことで1000回続きそうなのはこのメルマガしかない。大抵の習い事は1年も続かなかったから、このメルマガ1000回はその日には自分で自分を褒めてあげよう。
▼実はこの文章を書くための日本語変換はGoogle日本語という変換ソフトを使用している。先週のメルマガの直後に、「こんな日本語変換ソフトもあります」と声をかけていただいた。昨日今日のことで評価はできないが、これからしばらく使い続けてみたい。
▼面白いと感じるかどうかわからないが、ミサの式文の中には「主よ、あわれみたまえ」とか、「感謝したてまつる」とか、通常の会話では使わないような用語がけっこう頻繁に出てくる。現代であれば、「主よ、どうかあわれみを」そして「感謝します」となるところだが、典礼の中では古い言葉が残っている。
▼ただ今韓国語のミサ儀式書を韓国人の神父様の手ほどきで勉強し始めているが、韓国語のミサの中にも、日本語で言うところの「〜たまえ」のような「古典的な表現」が多数あるそうだ。言葉を勉強するときは直接先生に習うのがベストだが、それができなければ辞書に頼ることとなる。ただ辞書は古典的な表現にまで気を配って教えてくれないと思う。そこまで辞書に期待するのは酷である。
▼だが面白いところでこの溝を埋めてくれた。朝鮮王朝ドラマだ。「国王」に対する言葉は特別な言い回しが多くなる。それが、案外韓国語のミサを理解するのに役に立っている。「チュニムケソ(本当はハングルで表記したいのだが)」に繋がる「チョナケソ」とか、「〜ソソ」のような表現は、ドラマから先に学ぶことになった。



18/07/01(No.951)

▼「ひらどちくしさいかいぎ」を変換させたら、「平戸筑紫再会議」と表示され、「たいした変換だなぁ」と舌を巻いた。すぐに学習して「平戸地区司祭会議」と変換するようになったのだが、しばらくは笑える変換とおつきあいすることになりそうだ。
▼今年もありがたいことに霊名のお祝いをしていただいた。霊名のお祝いをしてもらうことで、霊的な家族の絆を確認できる。祝ってくださる人がいて、参加してない人も後でその様子を聞いて、霊的な家族は一致して喜び合う。私たち田平教会家族は、時にこのような形で家族のカタチを確認する。
▼祝賀会で、簡単な寸劇を行った。示談金詐欺である。私たちは案外「自分は詐欺には引っかからない」と思っているが、きっと司祭でさえも、巧妙な罠には騙されるのだと思う。そのあたりを滑稽な劇にしてみた。あとは役者の演技次第か。
▼「長崎と天草のキリスト教関連遺産」がユネスコの世界文化遺産に正式に登録された。長崎教区が関連資産を統括しているが、赴任している主任司祭が長崎教区の総意を表しているかは別問題かもしれない。負担に感じている小教区、小教区の主任司祭もいると思う。
▼世界遺産が重荷とか負担とならないように、ぜひ知恵を結集してもらいたい。案内する人が必要だし、地元の理解はこれまで以上に必要だ。世界遺産と結びついた巡礼の形でこれまで以上に訪問者がやってくる。活性化にどう結びつけるか。私たちも大いに関心を持っている。


18/07/08(No.952)

▼サルテリオの演奏はとても良かった。良いものに触れると、良いものが生まれてくるのかもしれない。終わりのあいさつのときに、「この教会は100年の歴史を刻んできました。1日も欠かさずこの聖堂は起こった出来事を記録して100年を迎えました。今日のこの日も、この聖堂は素晴らしい楽器を、その音色を記憶したと信じています」と言った。
▼このあいさつは、自画自賛になるが、準備して出てくるものではないと思う。良いものに触れて、生まれたものだと信じている。説教で触れた人も、「神さまが引き合わせてくれた人」「必ず出会うことになっている人」だと思う。
▼人との出会いが人を育てる。出会った人のことを記憶し、体に刻んで人は成長していく。人生は無制限に長くはない。出会う人は限られている。出会う人に育ててもらうためには、その人の前に身をかがめるべきだと思う。耳を傾けるべきだと思う。
▼韓国語で最近はちょっとしたことが言えるようになった。「今日は長崎に出かけます」「今から病院に(銀行に)行きます」韓国語で用件を言われた相手は目をまん丸くしているが、それを見るのも楽しい。ゆくゆくは、韓国語のミサの共同司式に並びたいものだ



18/07/15(No.953)

▼写真の掲載が間に合わなかった週が何度かあり、それを繰り返すうちにテーマの重複さえ起こってしまった。5月13日以降の写真が閲覧できるようになったのでお知らせ。長く放置してしまい、大変申し訳なく思っている。
▼今週の「六曜」の由来は大変勉強になった。お寺の坊さんに聞いても「友引」が仏教の教えでないことは明白である。陰陽道とか民間信仰を信じることと、自分が所属する宗教を信じることと両立できるか、考える場を作ることができた。
▼カトリックは陰陽道とか民間信仰を受け入れながらのキリスト教信仰を両立させたりはしない。カトリック信者はカトリックの教えに立って生きる。それだけである。そこをハッキリさせることができてよかった。そして、誰もが宣教できるパズルの一つを持つことができた。これまで埋めることができずにいた部分を、確実に埋めるピースの一枚だと思っている。
▼今週は涼しい場所を見つけた猫の写真を掲載するが、本当はゴーヤの竹垣をすぐにも見せたい。花が咲き、「もうすぐ」と知らせてくれている。猛烈な日差しの中で、青々と茂るゴーヤの葉は、それだけで涼しさを感じさせている。
▼大阪にはいつ以来だろうか。天国に行った人たちと結びつく事情で大阪に行ったとき以来か。あまりはしゃいで行くわけではないが、大阪はなかなか足を運ばない場所なので、楽しみにしている。特に補佐司教に叙階される被選司教は、大のタイガースファン。舌戦でこれからも阪神−広島戦わせたい。



18/07/22(No.954)

▼あんなに大阪は暑いのかと、甲子園球児のことまで考えた叙階式だった。なんとか無事に叙階式を見届けたが、叙階式をあの暑さでやり抜く枢機卿様と被選司教様2人の気力がまずすばらしい。
▼炎に焼かれても信仰を守り抜いた殉教者の心境はあのようなものだったのかもしれない。驚嘆すべき信仰を見ることができた。これは現地で体験した人しかわからない話だが、自分は叙階式のあとあべのハルカスに見物に行ったのだが、そこまで電車に乗っている時の話。
▼一組は新しい補佐司教の本を小脇に抱えた夫婦。関西の言葉だったのだが、内容的には「司教様のご本にたくさんのひとが殺到して、大変だったわよ」と言いつつ、自分は本を手に入れたのだとご満悦の様子。
▼もう一組は、「枢機卿というのは、日本全体に目配りするお方だから、忙しくなるに違いない」とこれまた枢機卿の任務について配偶者に得意げに話している。私が感心したのは、電車という公共の場で、離れた私にも聞こえるように大阪の人が信仰体験を語っておられたということだ。
▼私には偏見があった。大阪や東京の人は、信仰の話を電車のような公共の場で一切話したりはしないものだと思っていたわけだ。それがどうだろう。堂々と、私が司祭のシャツを身に着けていなければ「どんな話ですか」と会話の輪の中に入りたいくらいだった。
▼補佐司教の一人が「神さまはいつも人を驚かせることができる」といった挨拶をしておられたが、私にとっては都会の人が電車の中でその日起こった信仰の偉大な伝承を語り継いでいることが「力ある不思議なわざ」だった。


18/07/29(No.955)

▼世の中にはサボる人間とサボらない人間がいると思う。それは「プロセスが大事だ」と考える人と「結果が出ればプロセスは問わない」と考える人がいるのと同じだ。私はサボる人間で、「結果オーライ」の人間である。
▼だから、サボらない人、プロセスを重視する人とは合わなかったりぶつかったりする。まぁでもぶつかることで磨かれたり危険な角が取れたりするのだから、違う考えの人は大切な人、出会うべき人だと思う。「そう思えるようになった」というのが正しいか。
▼もはや締め切りも目の前に迫り、一歩も引けなくなってようやく仕事に取り掛かる。もっと計画的に、少なくとも締め切りを気にしない時期に、依頼されていることを果たせばよいのに。分かってはいてもそうできないのがありのままの姿だ。
▼「釣り」と「畑仕事」の比較に似ているかもしれない。本業にしている方々には「そんなことはない」と言われるかもしれないが、「釣り」は一日中真面目に釣っていても釣れない時は釣れない。魚は食べたいときしか口を動かさないからだ。
▼ところが畑仕事は、やろうと思えば一日中することが見つかると思う。ゴーヤの苗を植えてもらい、日々成長する姿に驚くが、苗は「そろそろ帳尻を合わせるために成長するか」などという計算をしない。日々、寝起きする間に成長していく。だから畑仕事をする人は、休まず働いても楽しいのだと思う。
▼結果が大事なこともあり、過程が大切なこともある。両方に目を配る。それが本当の上に立つ人、多くの人に仕えるために選ばれた人の取るべき態度だ。



18/08/05(No.956)

▼長崎新聞に、「五輪教会のキリスト像が傷つけられる」という記事が掲載されていると教会案内所の人に教えてもらった。十字架像が置かれている祭壇の奥は、一般的に会衆席より数段高くなるように段が設置されている。そこに侵入してイタズラをするのは悪質である。
▼一般の日本人は、段差をつけた場所を見れば「ここは特別な場所として設定されているのだな」と思い、勝手には踏み越えないものだ。見ている人がいてもいなくても、心の中で「越えてはいけない所」と考えるものだ。どうしてキリスト像のある境内内の祭壇まで踏み込んだのだろうか。
▼以前長崎市内の教会で、祭壇の聖櫃を荒らされたことがあった。祭壇を会衆席と分けていることで、「ここはさらに聖なる場所です」と、構造でそれを表そうとしているのに、どうしても伝わらないのだろう。残念でならない。
▼こうした人たちは、聖堂内でどんな時間の過ごし方をしたのだろうか。「キリストなしでも生きていける」そんな時間の過ごし方をしたのだろうか。壊したのはキリスト像の一部かもしれないが、壊されたのは実は「キリストなしには生きていけない」そう思う多くの人々の心だった。
▼物は、修理すればほぼ元通りになる。だが傷ついた心は、簡単には修復できないことを知るべきだ。正直に名乗り出て、関係者に謝罪し、与えてしまった心の傷を癒やすためになにか償いをしてほしい。償いは、心の傷を癒やすのに人間ができる数少ない道だ。



18/08/12(No.957)

▼誰かアリの専門家がいないだろうか。2度にわたってひどい目にあった。粒の小さなブドウ(名前を知らない)を一房食べて、皮を勉強机のゴミ箱に捨てたままにしていた。ゴミ箱は高さ50cm。翌朝ゴミ箱を見たら、見事にアリにたかられていた。
▼仕方なく、燃えるゴミの袋の口を縛り、アリと一緒に台所のゴミ入れに投げ込んだ。しばらくはアリがたかったことを忘れていたが、また別の時にアップルジュースを飲んでゴミ箱に捨てた。ゴミ箱の高さは50cm。翌朝ゴミ箱を見たら、見事にアリにたかられていた。
▼言い訳だが、アリの見ている地平からすると、ゴミ箱の入り口は超高層ビルの屋上のはず。なぜその場所まで這い上がり、甘いものを見つけてたかることができるのだろうか?どれかが甘い汁を吸えば次のアリと連絡を取り合い、隊列を調えてやってくる。まったく油断も隙もない。
▼想像してみた。甘い香りが、空気中に拡がり、床をウロウロしているアリがその成分を受容する。あちこち情報を巡らせて、床と同じ高さでなく、高い場所から降りてきた成分だと判断。そこで登ることのできる場所はすべて登り、たどり着いたということか。
▼現代はドローンもある。ひょっとしたら、アリが利用しているドローン(ハエとか、蚊とか)を駆使しているのか。お互いに利益を分け合って、それぞれが生き残る作戦か。そんな他愛のない想像しかできないが、誰か専門家がいたら、興味があるので聞かせてほしい。


18/08/15(No.958)

▼歳を感じ、ショックを覚えた。ここで天に帰るのかとさえ思った。風呂に入り、浴槽の湯を抜いて、タイルの床に片足を掛けたときだった。足が滑り、倒れそうになったので浴槽の足で踏ん張った。するとその足も滑り、さらに手をついて支えようとしたら手も滑って肘を強く打ち、肘の皮膚が切れて出血した。
▼「風呂場で転んで怪我をする」とか「風呂場で溺れて命を落とす」といったことは年寄りに起こるもので自分は関係ないと思っていたが、初めて足を滑らせ、痛い目にあってみると、他人事ではないとつくづく思う。歳を取ったのだと思い知らされ、ショックを覚えた。
▼それから数日して、徐々にすねとか、他にも痛めている場所があることが分かり、本当に悲しくなった。歳を取ったことは認めるが、足が滑るような年寄りだとは思っていなかったので、今回のことはとても落ち込んでいる。
▼これと変わらないくらい落ち込む出来事が同じ日に起きた。風呂で足を滑らせた時点で「今日は用心しろよ」という合図だったのに、それを無視したことが悔やまれる出来事だ。またも江迎中学校近くの高架下。この時は佐々からの帰り道だったので、通行時間の規制はないのだが、高架下をくぐって県道に出る時、必ず一時停止が必要な場所である。
▼月曜日で、司祭団ソフトの練習でみっちりしごかれ、疲れて少しでも早く帰りたい気分だった。軽トラックであったこともあり、坂道発進が苦手な私は、オートマでない車で坂道発進をして後続の車に迷惑をかけたくなかった。そこでじわっと減速しただけで一時停止を通過し、県道に出た。「警察は見たところいない。大丈夫だ」そう思って後ろを振り返ると、私の直後に警察車両がピッタリくっついていた。
▼頭が真っ白になり、「これはもう死んだ」と思った。天に昇ったかと思った。ところが警察車両から「止まれ」とか車のナンバーを呼ばれることもなく、ただピッタリくっついてくる。落ち着いて、「マツモトキヨシの先の分かれ道で警察車両をかわそう」そう思って自分は右折ラインに移動した。
▼それなのに、警察車両も右折ラインに並んできた。警察車両は直進するに違いないと思って右折ラインに乗ったのに、なぜ私の後ろに並ぶのか。ここからがオチだが、この警察車両はただ単に江迎警察署に帰って昼を過ごそうとしていただけだったのだろう。側道から合流した私が一時停止違反をしたことも知らなかったのかもしれない。
▼仮に私の一時停止違反を知っていたとしても、彼らは昼の時間をゆっくり過ごすことを優先し、やり過ごそうと思ったのかもしれない。一日に二度、昇天しかけたことは、「暑くて判断力が鈍っていたとしても、用心を忘れてはいけない」という強い警告だったのだと思っている。



18/08/19(No.959)

▼一つのニュースに釘付けになった。アメリカの有名大学医学部が、次の年度から入学した生徒すべての学費を免除すると発表した。報道によると、その大学の学費は年に610万円だと言う。太っ腹だなぁと思った。もちろん原資のあてがあるのだろうが、それにしても世界中の注目を浴びるに十分なニュースだった。
▼これを召命の話と結びつけたい。自分自身振り返ってみると、少なくとも中学高校を長崎の学校に行かせてもらったのだから、親の負担は地元の中学生高校生以上に重かったと思う。長崎からの行き帰り、必ず船に乗らなければならない。仕送りもしてもらった。余計な本も買ったかもしれない。
▼もしこれが、司祭たちの寄付で「神学性が小神学院を卒業するまでの交通費・学費は免除される」となれば、相当のアピールになるのではないか。先に触れた大学の医学部も、入学した新入生500人が全員医者になるわけでもないだろう。それなのに何の線引もせずに免除している。似たようなことが召命の道にあってもよいのではないか。
▼もちろん召命の道は信仰の道だから、経済的問題だけではないだろう。けれども家庭だけが応援するのではなく、司祭真っ先に、神学性を見える形で支えることは、信仰の面でも経済的なのではないだろうか。
▼福岡の神学校に進学した時、自分たち日本の大神学生が海外の援助を受けていることを初めて知った。一つの例だが、ドイツのあるご夫婦に手紙を書きなさいと言われた。生徒一人ひとりが海外の多くの支援者の誰かに支援のお礼の手紙を割り振られていて、日常生活のことや、召命への決意や、恩人のために祈っていることなど、一通り書いたものを担当の教授が翻訳して送っていたようである。
▼一度、手紙の書き直しを命じられたことがあった。教授の言い分はこうである。あなたの手紙では、日本の神学校に寄付をしてよかったと感じられない。それは文章の内容だけでない、司祭を目指すふだんの生活が文章に現れるのだという注意だった。寄付に甘えることなく、真剣に司祭への道を求めるようになった。


18/08/26(No.960)

▼司祭の性的虐待がニュースでも取り上げられる事態となってきた。個人の傾向も原因にあるだろうが、神学生時代の養成のあり方にも問題があるかもしれない。男性だけの共同生活で歪む部分があるかもしれない。フランシスコ教皇も心を痛めておられる。加害者、被害者、どちらのためにも祈りたい。
▼お勧めいただいた日本語変換ソフトも、能力の限界を感じている。最終的にはATOKを買うことになるかもしれない。具体例は控えるが、同じ読みをする漢字を果てしなく検索させられ、疲れることがある。「文脈から考えてはくれないのか?」と思う場面があり、限界に来ている。
▼ただ問題は、ATOKだけ買うのと、ワープロソフト「一太郎」と一緒に買うのと、どちらが良いか、という問題だ。一太郎はほとんど使用する場面はないからATOKだけで構わないのだけれども、ATOKだけだとお得感はない。
▼「お得感を求めて買うのか?」と言われるわけだが、それがまったくないとも言えない。どこかに良い解決法がないだろうか。少し古めの「一太郎」をインストールしたら、「すでに別のPCで認証をされたものなので、使えません」となるのだろうか。パソコンソフトには「ダビング10(テン)」という仕組みはないのだろうか。
▼持っている物の価値は下がる。これは自然の流れだ。たまに、「価値が上がる」ものもある。両方あれば、あなたはどうするか。私は「価値が下がる」ものを、価値を見つけてくれる人に手放す。近いうちに実行することになりそうだ。


18/09/02(No.961)

▼最近よくドラマを観る。韓国の朝鮮王朝時代のドラマばかりだが、ドラマに「ドラマ」があることをようやく教えてもらった。昔、山口百恵とかが出ているドラマを観た頃は、「ドラマ」を理解できる年齢ではなかったが、今は「なるほど、この人たちがドラマを展開する人たちなんだな」とか、「あー、こういう形で再開して、次の展開に進むのか」と考えが及ぶようになった。
▼ドラマを全部見た挙げ句に、Amazonなどを検索してDVDを買い求める。だったらDVDだけ観たらどうなの?と言われそうだが、展開を知った上で観ても面白いものは、まぁ、買っても損はないと思っている。最近観た中で特に良かったのは「根の深い木」と「チョン・ドジョン」だろうか。
▼なかでも「チョン・ドジョン」は景福宮を設計した宰相だから、韓国旅行をしたあとでとても親近感を覚えた。冷静さと情熱で国を前に進めていく姿、「生き馬の目を抜く」そんな政治の荒波を渡る姿、実生活でも考えさせられることがある。
▼時代劇のキャストは、ある程度のメンバーが入れ代わり立ち代わりして配役を担っている。それは長短あって、「中級官吏」の役割だった人が別のドラマで「王」の役割で登場したりすると「あれっ?」と思ってしまうが、最近はそれも慣れっこになってきた。かえって「女官長」まで上り詰めた女優さんが「まずしい猟師の妻」だったりするととても面白かったりする。しばらくはドラマを観そうだ。
▼ところで「ドラマを観ながら韓国語が覚えられるか?」という疑問に私は「すべての韓国語を覚えられるとは言わないが、『なるほど、こう言うのか』と頷くことはある」と言っておこう。ドラマで韓国語をマスターするというのは誇張だと私は思っている。▼最近よくドラマを観る。韓国の朝鮮王朝時代のドラマばかりだが、ドラマに「ドラマ」があることをようやく教えてもらった。昔、山口百恵とかが出ているドラマを観た頃は、「ドラマ」を理解できる年齢ではなかったが、今は「なるほど、この人たちがドラマを展開する人たちなんだな」とか、「あー、こういう形で再開して、次の展開に進むのか」と考えが及ぶようになった。
▼ドラマを全部見た挙げ句に、Amazonなどを検索してDVDを買い求める。だったらDVDだけ観たらどうなの?と言われそうだが、展開を知った上で観ても面白いものは、まぁ、買っても損はないと思っている。最近観た中で特に良かったのは「根の深い木」と「チョン・ドジョン」だろうか。
▼なかでも「チョン・ドジョン」は景福宮を設計した宰相だから、韓国旅行をしたあとでとても親近感を覚えた。冷静さと情熱で国を前に進めていく姿、「生き馬の目を抜く」そんな政治の荒波を渡る姿、実生活でも考えさせられることがある。
▼時代劇のキャストは、ある程度のメンバーが入れ代わり立ち代わりして配役を担っている。それは長短あって、「中級官吏」の役割だった人が別のドラマで「王」の役割で登場したりすると「あれっ?」と思ってしまうが、最近はそれも慣れっこになってきた。かえって「女官長」まで上り詰めた女優さんが「まずしい猟師の妻」だったりするととても面白かったりする。しばらくはドラマを観そうだ。
▼ところで「ドラマを観ながら韓国語が覚えられるか?」という疑問に私は「すべての韓国語を覚えられるとは言わないが、『なるほど、こう言うのか』と頷くことはある」と言っておこう。ドラマで韓国語をマスターするというのは誇張だと私は思っている。



18/09/09(No.962)

▼黙想会の話。毎年指導司祭を選ぶのに苦労するが、今年はあるお方に依頼したらすんなり引き受けてくださった。韓国語では「人」を「サラン」と言うが(ハングル表記できずにカタカナ表記)、「お方」となると「ブン」になる。
▼「この人」「あの人」と「この方」「あの方」は日本語でも違いが感じられるが、韓国語はなおさらだ。まぁ、そういう「お方」に依頼してみたら引き受けてもらえたということだ。
▼私は黙想会を依頼する時に、「得意なテーマはなんだろうか」と考える。もちろんその小教区が置かれている状況でより重大なテーマがあれば(前回は献堂百周年を迎えようとしていたから、献堂百周年経験者の先輩にお願いした)そちらが優先だが、得意そうなテーマをお願いしたほうが、良い黙想指導をしてもらえるだろうという考えである。
▼今回お願いした方には、得意かどうかはわからないけれども、きっと誰よりも理解しておられることについて一回分の話をお願いし、残りはおまかせしますというお願いをした。田平教会の評議会ではすでに名前を報告し、了承を得たことも伝えた。
▼「忙しいかと思ったけれども、二つ返事で引き受けてくださり、こちらが拍子抜けした」とその場で言ったのだが、ずっと予定を入れずに待ってくださったのだと思うと、本当にありがたいことである。
▼司祭館に滞在してもらうことになると思うが、問題がある。寒いのだ。私が赴任したときもそう思ったが、五島と比べると平戸は寒い。さらにこの司祭館は建物が古く、隙間風だらけ。どうしたものか。案外、信徒会館の畳の間が、快適かもしれないと思ったりもする。
▼話変わるが、土曜日に殉教公園の清掃に出かけられた皆さん、予報では曇りになっていたのに外を眺めたら弱い雨が降っている。その中で清掃をしているとしたら本当にご苦労さま。一週間清掃を遅らせて、焼罪(やいざ)殉教祭(「カミロ・コンスタンツオ神父殉教記念ミサ」のこと)前日に変更もありだと思っている。とにかく、怪我のないように、雨で濡れて体調を崩さないように、心から願っている。



18/09/16(No.963)

▼あれだけ大きく出たから、参加費1人3万円の工面をしなければなるまい。果たして何人申し込むかだが、5人申し込んだら15万円かぁ。無駄遣いを控えて、と思ったが説教を書いている途中でレンタルDVDを申し込んだので1150円使ってしまった。塵も積もれば山となる。1150円は早まったか。
▼クルシリオに参加した人をいろいろ知っている。クルシリオで最も辛い記憶は、熱意をかき立てられて帰ったが、心を病んでしまった人のことだ。どのように選ばれて参加したのか分からないが、再出発もいいかな、と思うような人を選ぶべきだ。
▼拍子抜けの人もいる。ある意味、日常生活が大神学院の生活のような人には、クルシリオはきつくも何ともないから、変化しづらいのだろう。見た目に何の変化も見られなかった。私の見えないところでは、変化したのかもしれない。そう信じたい。
▼今、漢字変換で「変化したのかもしれない。」に続けて「そうしんじたい。」を変換させたら、「送信自体。」だそうだ。このレベルだと笑うに笑えない。クルシリオが終わるまでお金は節約だが、「そう信じたい」と変換できない理由が分からない。
▼クルシリオの裏方の人たちには心から感謝したい。私がクルシリオに送った1人は、参加したクルシリオの長の人を心から尊敬していた。実際にあらためてその人に会いに行って、お礼を言いに行った。本当に世話になったと、感じられる体験をしたのだ。
▼人と人とのつながりが希薄な時代だ。だからこのクルシリオのような練成会は、貴重な場所になってきた。日本には迷惑と感じるカトリックの活動団体もある。世界的には認められているかもしれないが、こと日本では良い噂を聞かない活動団体もいる。そんな中でクルシリオは特別な光を放っている。
▼修道会の「在世会」もオススメだが、クルシリオは修道会でないところが特別である。さまざまな「社会実験」をすることに私はとやかく言わないが、クルシリオなどはすでに成功しているのだから、私はこの活動を多くの人にお勧めしたい。ちなみに私はクルシリオ福岡第30回大会の参加者である。


18/09/23(No.964)

▼2週間前に、この状況を想像できただろうか。広島カープのマジックがどんどん減り、あわや最短優勝が9月あたまなのでは?という勢いだった。ところが連敗が始まり、更に雨天中止なども重なり、9月22日時点でマジック3である。
▼ちょうど、いい。振替休日の24日に優勝となれば、言うことない。23日でも構わんよ(笑)1泊2日夏休みの残りを、カープ優勝ディナーといこうではないか。現実は居酒屋で見知らぬ人とハイタッチかもしれないが。
▼去年のことを思い出す。甲子園球場の観戦チケットを初めて入手し、身の程知らずにも伊丹空港からカープの出で立ちで球場行きのバスに乗った。物々しい雰囲気かと思いきや、大勢のカープファンに勇気づけられ、試合後にバンザイと、見知らぬ人たちとハイタッチをしたのだった。
▼今年はどこで、どのように祝うのか。のこり3つのマジックの減り具合によるが、思いを強く持てば、叶うのだなと実感した。今年こそは日本一。相手はどこか知らないが、足元すくわれて日本シリーズを逃さないように、応援を続けたい。
▼そう言いながらDAZNもRadikoも今月分で解約し、また我慢ができなくなる5月頃から契約を再開しようと思っている。契約と言えば、日本語変換ソフトも契約を考えている。日本語変換ソフトで有名なATOKが、久しぶりに会社のHPを見てみると月毎に使用料を払い続けて利用するスタイルに変わっていた。今日は22日。契約は10月からか。



18/09/30(No.965)

▼説教では書かなかったが、道具の違いに違和感を持った経験をここで紹介したい。かつてカリスと言えば金属製が定番だった。それは「ぶどう酒が染み込む素材は厳禁」だったからだ。だからある後輩が陶器のカリスを準備して叙階式に臨んだときは正直ショックを覚えた。
▼ほかにも、漆塗りの漆器のカリスやチボリウムを自慢気に用いている後輩を見て、「どうかしてる」と心の中で思ったのだった。だがこうしたことも、道具が神の栄光のためにどんどん用いられていく過程で、見直されてよいのかもしれない。今はそう思う。
▼もちろん、教会が求める道具の条件はクリアしなければならない。今でも「ぶどう酒が染み込む素材」はカリスには使用できない。だがそれを十分に満たしていれば、日本の文化の中で育ったものを用いてミサをささげることはむしろすばらしいわけだ。
▼実は明洞大聖堂でのミサでもう一つ違う道具を見たが、その道具にショックを覚えたのはそれより1年前、しかもカトリック神学院の東京キャンパスでだった。その道具とは「鈴」(典礼用語「カンパヌラ」)である。
▼以前、カトリック神学院東京キャンパスの院長に招かれて学生に講話をしたことがあった。その際、学生たちとミサをささげたのだが、そこで用いられていた「鈴」の代わりの道具が、お寺にある火鉢のような鐘(名前を知らない)だったのだ。
▼「カーン」長く響く鐘の音。確かに静けさを保つには違いないが、初めて見た私には「鈴」以外のものが聖変化の場面に用いられるのは違和感しかなかった。そしてそれが採用されているのがどこかの一つの小教区なのではなく、「典礼を学び、その典礼をそれぞれの場所に運んでいく」言わば苗床である神学院だったのだから、不安にさえ思った。
▼しかし同じ道具をソウル大司教区の言わば典礼のお手本を示す明洞大聖堂で使用している場面に出くわすと、「やめさせようとしました」と「やめさせてはならない」の両方の気持ちが同時に湧いてきた。もちろんこの場合、私の見てきたことや経験が狭いに過ぎない。



18/10/07(No.966)

▼過ぎた週は葬儀が2回入った。ふだんの一週間と比べると、2倍、いや3倍は長かった一週間のように感じた。木曜日の葬儀で、最後に家族との食事会に招かれ、そこで強烈な個性の青年に出会った。この人は最初少し離れたテーブルの席に座っていたのだが、自ら、私の隣りに座ってきた。
▼「今日の葬儀ミサの説教、『俺は今日忙しい合間をぬって葬儀をしてるよ』みたいな猛アピールしてましたよね」最初の挨拶でこんな切り出しをする人はいないわけで、私は気分を害するどころか「非常に面白い!」と思ったのである。
▼確かに、その日は忙しかった。初金曜日で病人訪問をしつつ、11時の葬儀ミサの務めを果たしたからだ。7時半から始まる家庭の病人訪問を10時の訪問者まで回り、10時20分、40分、11時の人たちにはお断りを入れて葬儀に入った。葬儀ミサ直前の病人訪問で感じたことを葬儀の中で関連付けて話したのだが、「結構忙しくしているでしょ」みたいな話し方をしていたと思う。
▼本人が隠しながら織り交ぜた「アピール」を、その人は私に突きつけたわけだ。「何を!」と思う司祭もいるかも知れない。だが私は「この人は実に面白い」と直感したのである。私がいくら「君はそう感じたかもしれないが、ご年配の人は『そんなに忙しかったのですか。ご苦労様でした』と思っているんだよ」と抵抗してみたが、「私は騙されません。あれはアピールです」と切り捨てられた。
▼あまりに興味深い人物だったので、スマートフォンで名前をメモを取ったら「そんなに私に興味ありますか?どうしてそこまで食いつくのですか?」と突っ込まれた。「理由は一つ。君が面白いからだよ。」久しぶりに、私を言い込める人と出会った。


18/10/14(No.967)

▼忙しくなると仕事が片付かない理由をあれこれ考えてしまう。「手が四本あったらなぁ」とか「24時間秘書がいたらなぁ」とか。イエス様だって二本の手で働いたし、秘書も持たずに働いた。しかも電気のない時代にだ。贅沢言わない。言い訳しない。
▼葉書を2通出そうとしている。一人は田平教会出身で今年叙階50周年の神父様。「いよいよ近づきました、心よりお待ち申し上げております」という案内だ。もう一人はミサをお願いしてきた人だが、通常の「ごミサ預かりました。○○日におささげいたします」ではなく、もう少し何か書いてから出そうと思っている。
▼出会う人は歳を重ねるうちに手が回らないほど増えていくのに、一人ひとりへの気配りは行き届かない。クローンがいればどんなに人生楽しいだろうか。クローンもクローンが欲しくなるだろうか。
▼体の変化や、会話の変化、この人が人生のどのあたりにいるのだろうかと考えることがある。私の父が晩年たどった様子を思い出すことがある。こうなってああなって・・・私に思い当たることがある。できれば父の年齢までは健康でいたいが。



18/10/21(No.968)

「頼まれていることは時を置かずに」という話。先週だったか先々週だったか、「葉書を2通」と書いたような気がするが、この件は片付いた。だが仕事は私に休みを与えてくれない。20日には決まって提出している15分程度のマリア文庫宛ての宗教講話、11月から始める「聖書愛読運動−詩編を読む−」の導入解説。まずはこの2つにすぐに取りかからなければならない。
▼さっき、小学生が司祭館のチャイムを押した。「お父さんのグローブをもらって帰りたいです。」9月に開催されたカトリック平戸地区評議会主催の球技大会でチームに参加し、たまたま忘れたグローブを、主催者の方で預かってもらっていた。10月9日にちょうど顔を合わせたので「忘れ物のグローブは田平教会チームのメンバーのものです。あずかって帰りたい」と声をかけた。
▼「すぐにお届けします」と言ってから早くも12日。子供に「もらってきて」と言ったお父さんは当然受け取れると思っていただろう。日曜日21日は参加しているチームでの試合があり、この時点で焦っているに違いない。うまく受け取って渡すことができれば幸いだ。
▼この記事を書いている間に、ケータイに電話が入った。「これから届けに行きます。遅くなって申し訳ありません」ということだった。まずは一安心。あとは今日のうちにお父さんが取りに来てくれれば明日何とか間に合いそうだ。
▼返事を出していない葉書がもう一つ出てきた。明日までに到着と書かれている。どうして今まで放置していたのか。心配しているに違いない。返事を待たれているものには時を置かずに返事を。そういう人でなければ、残りの25年お役に立てないのではなかろうか。



18/10/28(No.969)

▼「耳鳴り?違うでしょ。」きっとそう言われるに違いない。だが一日中、「がんばれカープ」が鳴り響いている。土曜日の第一戦、大瀬良の先発。相手は千賀。相手は13勝、こっちは15勝。データ上は上回っている。現地で早く応援したい。
▼私の父は一度しか物事を教えない人だった。道具の作り方、良い者とそうでないものの見分け方。私も司祭26年目を歩きながら、あまりにも「こう」と道を示すのは良くないのではないかと思い始めた。一つの例を挙げて、聞いた人があれこれ考えるような示し方が良いのではないかと思うようになった。
▼しょせん、こちらが明確に道を示しても、受け取る側はこちらの期待通りに受け取るとは限らない。むしろ期待に添わない受け取り方をすることだってある。だったら、相手がどのように受け取るかなど気にせず、考えるヒントだけ出せば良いかと思っている。
▼しかしヒントだけ示されても自分で答えにたどり着けない人はどうするか。それはちょっと気になる。仮にあと25年生きるのであれば、「ヒントだけでは自分なりの答えにたどり着けない人」をどう導いていくか、そこを考えてみよう。
▼私の25年は、「答えはこうですよ」「答えはこちらですよ」そういう導き方だったと思う。一方はカトリックでないカップルが結婚の相談に来た時に「あなたも洗礼を受けたら?」とずいぶん押した。確かに受けてくれる人は多かったが、その後はどうなっているのだろうか。
▼ヒントを出して、「どんな答えを私に期待しているのだろうか」と受け止め、「私の答えはこうです」と返事をもらう。そんな活動に舵を切ろうと思う。ある人は私の期待する答えを出そうとするかもしれない。「それは本当にあなたの答えですか?」本当の答えを神様にご報告できる折り返し25年でありたい。


18/11/04(No.970)

▼今週は司教様づくしになってしまった。説教には書かなかったが、マツダスタジアムでの試合観戦後、司教館では大反省会を行って、司教様も私たちの話に耳を傾け、輪に加わってくださった。本当に頭の下がる司教様である。
▼大反省会の冒頭、司教様がこんないたずらで迎えてくれた。「お疲れ様。みんなテレビに映ってたよ。」そう言って、私を驚かせた。テレビに映ったことに驚いたわけではない。司教様がこんな冗談を言うことに、心底驚いたのだ。
▼かつて高校生だった時、生真面目で笑った顔など一度も見たことのない人だった。笑うような生き方は不真面目だと思っていたのかもしれない。本心は分からないが、当然冗談を言うはずもなく、卒業して大神学院に進まれた。
▼だが大神学院に進んで間もなく、健康を損ねてしまい、休学することになる。ここで心境の変化があったらしい。私が小神学院を卒業し、大神学院に入学する頃にはすでに白浜先輩も復学していたわけだが、別人のように変わっていた。
▼「箸が転んでも笑う年頃」という言葉があるが、白浜先輩は快活に笑い、時にジョークを飛ばし、「これがあの白浜先輩か?」と思わせる変貌ぶりを遂げていた。立派ではあるが近寄りがたい先輩としてではなく、誰からも愛される先輩へと進化を遂げていたのである。
▼「冗談だよ冗談。あっはっは。」そう言うところが真面目な司教様らしい。私ならば「テレビに映ってたよ」と言ってそのまま終わるだろう。とてもではないが、あの天真爛漫な司教様のようには進化しそうにもない。



18/11/11(No.971)

▼健康診断が10月の司祭研修会とセットで提供されていて、申し込んだ人26人が受診した。その結果が届いたのだが、「なるほどそうだろうな」という結果だった。「肥満」「尿一般検査にて、蛋白が陽性」「肝機能異常」。
▼そんなもんだろう。健康な生活はしていないし、お酒も自分が飲みたい量飲んでいるわけでもない。みんながお酒をついでくれて、それを飲む。十分、不摂生である。来年の駅伝大会とマラソン大会に向けて、少なくとも運動を再開すべきだろう。
▼からだが重いのはよく分かっている。もっと軽かったら、一塁に走るのももっと楽だろう。あるいは長い距離走るのも、もっと楽しめるだろう。どこかに、「ここまで努力したら、これとこれは食べても飲んでもいいですよ」と、分かりやすく示してくれる人はいないだろうか。
▼自分だけの体ではない。それ以上に、自分で自分の体に納得できていない。だから自分が好きになれるような体を思い描いて、努力を始めよう。私と似たような状況の人がたくさんいるので、「どうやって体を絞ったの?」と聞かれるくらいになれたらなぁ。
▼長らく放置していた船にようやくエンジンが掛かり、秋冬のシーズンが開幕だ。平戸の瀬戸は大きな船が航行する。大きな船のスクリューは海をかき混ぜ、プランクトンがわく。そこから食物連鎖が始まる。うまく利用して、また平戸の海でリフレッシュさせてもらおう。



18/11/18(No.972)

▼何があったのだろうか。11月に入ってからと思うが、利用しているホームページのサービスがダウンしていた。11月3日(土)に福岡での神学院祭に参加してホームページを更新しようとしても更新できない。
▼なぜだ?と思いサービス会社に連絡を取るも返事なし。「ひょっとして契約更新を怠ったか?」とも思ったがそうでもなさそう。結局10日後あたりから更新できる状態に戻っていて、何だか「私が更新し忘れた」みたいに思われて嫌だった。
▼問題山積。メルマガ更新も、FacebookはTwitter経由で連携が取れていたのに、最近連係が解除されている様子。おかげで複数の人から「Facebookでブログが見られなくなりました。更新をお休みしているのでしょうか。もしかしてご病気でしょうか」まで声が届いた。
▼そうではなく、Twitter経由の連携が解除されていたのを長らく知らずにいたわけだ。連携に関係する項目をいじってみたが、「Facebook SDKを読み込めませんでした。connect.facebook.netがブロックされていないかどうか、ご確認ください。」と、分かりづらい説明しかもらえなかった。Facebookは仕方がないから直接更新する。これでまた一手間増えた。
▼他にも、「メルマガが11月から配信されてきてない」とのこと。配信は休んでいないのだが、どこかのサーバーがため込んでいるのか?原因不明の不調で私のほうがどうかなりそうだ。
▼年末になる。典礼暦が入れ替わると説教の型紙も作り直さなければならない。それがメルマガの朗読箇所に転用されていく。これを例えば半年分くらい作ると目の前の煩雑さから逃れられる。以前は典礼暦のテキスト入力を引き受けてくれていた人がいたが、その人は天に旅立ってしまった。


18/11/25(No.973)

▼久しぶりに



18/12/02(No.974)

▼健康



18/12/09(No.975)

▼健康


18/12/16(No.976)

▼久しぶりに



18/12/23(No.977)

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18/12/30(No.980)

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19/01/01(No.981)

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18/06/17(No.949)

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