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15/01/01(No.805)

▼新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。今年はなんと、50歳になる年です。3月12日です。年が明け、3月の誕生日はあれよあれよと言ううちにやってくるでしょう。20歳の時、50歳は印象として「おじいさん」でした。「おじさん」は40代まで。いよいよ「おじいさん」の領域へ突入です。
▼あと4年もするとメルマガは1000号に到達する。「気が早い」と思われるかもしれないが、1000号はもう目の前の出来事、現実味を帯びてきたと思っている。それはメルマガ配信準備の型紙と、説教案を準備するMS-Wordのファイルを1000号ちょっとまで用意したことによるものだ。
▼1000号の配信予定日は、2019年4月28日になる。目印になる祝日は神のいつくしみの主日。目を皿のようにして連番に間違いがないか調べて、あくまでも現時点で番号を振り続けた結果だ。計算違いがあったり、臨時で特別号を出すかもしれない。
▼さて問題は、そのときどこにいるか、ということだ。その2年前、2017年には司祭叙階25年、銀祝を迎える。このこととも関係するが、どこにいるかは結構大きな問題だと思う。1000号については予想が立っても、2017年と2019年にどこにいるかは誰も知らない。ささやかでもお祝いできる場所にいたいと願うばかりである。
▼2015年は食事のお世話をしてくださるシスターが居ない年で、自炊には苦労させられた。最初はどの料理も作りすぎて無駄にしてしまった。肉じゃがを作るときにジャガイモを4個使い、できたのはいいが最後には見るのも嫌になり、食べなかったことも。お一人さまの肉じゃがにはジャガイモ2個で十分である。
▼野菜を食べるために、「水炊きもどき」も何度か作った。これも最初は作りすぎた。2リットルの水を鍋に用意していた。当然最後は食べるのも嫌になる。お一人さまの鍋に入れる水は、1リットル。それでも多いかもしれない。分量が分かってきて、水炊きそのままで食べるのがつらくなると、最後は味噌を入れて味噌汁にして食べたっけ。
▼自炊も悪くはない。しかし衛生面も問題だし、バランスの問題もある。やはり食事はサポートしてもらうのが一番だと思う。2016年はどうなっているだろうか。



15/01/03(No.806)

▼年賀状を元日に受け取り、眺めている。たぶん出し忘れた相手もいるし、わたしが一方的に出した相手もいると思う。例年だと照らし合わせて後で出すことが多いが、今年はあまりそういう気になれない。申し訳ないとは思うが、どうも気分が乗らない。
▼2日と3日は箱根駅伝。小一時間観ているころでこの記事を書いているが、もう遅れ始める大学もあるし、飛び出して他チームを振り切った大学も出ている。そんな中、ショートメールが入ってきた。差出人は去年35年ぶりに連絡を取ることができた小学校時代の恩師だった。
▼律儀な先生だな、と思った。丁寧なあいさつで、気にかけてくれていることがとてもよく伝わった。当時は警察沙汰を起こしたりして先生には本当に迷惑をかけてしまったが、こうして連絡をもらえるようになったのは本当にありがたいことだと思う。
▼「神の母聖マリア」のミサ説教を考えたのもつかの間、今日はもう切り替えて明日「御公現」のミサ説教を考えなければならない。御公現こそ福音朗読が同じなので、新しいものを見出すのはますます難しくなってきている。それでも自分が存在しているのはこの説教を用意し続けているからだと思っているので、何とか切り口を見つけたい。
▼元日のテレビの中で興味深いものがあった。BSプレミアムだったと思うが、瀬戸内寂聴さんを撮影し続け、それを編集して紹介した番組だった。ありのままの瀬戸内さんを見せてくれる内容で、93歳になって誰にもなにもはばかることなく思ったことを言う姿は痛快だった。
▼その中で、「どの作品も自分を超える何かに動かされて書いた作品が良い作品になる。」そんな言葉があって「そうそう。その通り」とうなずいて観ていた。説教案も、苦心して書いてみても、「何かが違う」と思って破棄してしまい、「消さなきゃよかったなぁ」と残り少ない時間でもがいていたら何かが降りてきて、さらっと書けた、そういう経験がある。得てしてそういう説教案は自分でも「なるほどなぁ」と感心するものである。
▼これは余談だが、瀬戸内さんの恋愛観はわたしには受け入れられないと思ったがそういうものなのかもしれないなぁ、とも思った。「恋愛は雷に打たれるようなもので、雷に打たれないよりも打たれるほうが人生を豊かにする。恋をしてはいけない相手はいないと思う」ということのようだ。



15/01/10(No.807)

▼人は死ぬと天国・煉獄・地獄のいずれかに置かれることになる。人は死ぬと最初の審判を受け、天国・煉獄・地獄の置かれる場所が決まる。わたしはこう考えてみた。最初の審判に九官鳥が立ち会っていて、ひとこと声をかける。「手ぶらでや?(手ぶらで来たのか?)。」
▼占星術の学者たちはイエスのもとを訪ねた時に贈り物を携えていた。黄金・乳香・没薬である。だから神の前に立つとき、何かを携えていなければならないとわたしも思っている。そして九官鳥の「手ぶらでや?(手ぶらで来たのか?)に答えを持っている人は天国に、答えに窮する人は煉獄に、持たない人は地獄に行く。
▼煉獄に行くと、ここは有限の罰を償う場所であり、またもや九官鳥が入り口に待っている。この九官鳥は「いらっしゃい」と言った。しかしいつまで償いの期間が続くのか、何も答えてくれない。だがいつかきっと有限の罰の償いは終わり、天国に迎えられる。今度こそ、「手ぶらでや?(手ぶらで来たのか?)」に即座に答えることができる。「わたしはすべてを償ってまいりました。」言い方はいろいろあるかもしれない。
▼地獄に決定づけられ、地獄の門まで来るとそこにも九官鳥がいた。この九官鳥はこう言う。「わたしはあなたのことを知らない。」だれも自分のことを知らないし、気にもかけてくれない。絶望の中に投げ込まれる。もはや何の希望もない。永遠に、「わたしはあなたのことを知らない」という宣告を受け続ける。
▼仮に、こういうことが起こるとするなら、わたしは生きているうちに神のもとまで届く「お土産」を用意したいと思う。祈りであるとか、隣人への愛であるとか、人に対するゆるしであるとか、神への信仰だとか。もしわたしの準備が足りなければ、わたしを弁護してくれる友に、この地上で巡り会っておきたい。
▼「彼はわたしにこのようにしてくれた人です」と、友人の弁護によって携えるものが見つかるかもしれない。少なくとも、「手ぶらでや?(手ぶらで来たのか?)」という声で迎えてもらえるような人生を送る必要がある。「わたしはあなたのことを知らない」はあってはならない声である。



15/01/17(No.808)

▼メルマガ配信の型紙に使っている資料が古いままになっていた。はじめ気付かずに説教案の準備に入ったが、すぐに朗読個所が今年の朗読配分表と合っていないことに気付いた。今週だけかと思ったら間違ったまま先の先まで用意されている。
▼これはすぐに修正しなければ。後先考えずに朗読配分をメルマガの型紙に当てはめていたのだが、あるところで間違いが無くなっていたり、何がどうなっているのか分からず頭がパニックになってしまった。
▼見る見るうちに時間が失われていく。土曜日午前中で終わるかと思った作業は昼を越え、午後2時になってしまった。今更のように、「今年前半くらいで型紙づくりは中断しよう」そう決めて説教案に戻ったが、どうしても頭が回らない。
▼致し方なく、6年前の説教案を開くこととなった。何度か読み返し、ニュース性が無くなった部分を削り、推敲してある。ほとんど以前のものは役に立たないことが多いが、今回の説教案に関しては自分で言うのもなんだがよくできていて「採用」できた。
▼ただ、机の上にはまだ片づけなければならないルーティンが散らかっている。今週のミサのお知らせが煩雑なのでメモを作ったが人数分コピーが必要だ。掲示板に貼る大きなお知らせもあと2部コピーが必要だ。わたしの「出張予定表」もあと2部必要だ。
▼ほかにも、信徒発見劇が2月20日(土)と21日(日)に上五島備蓄記念会館で上映されるが、整理券を配る関係上人数の正確な把握が必要で、申込用紙を作成して各教会で取りまとめが必要になる。あー、昼も食べずにこんな時間まで雑事に追われ、ついに説教案は目をつぶって6年前の焼き直しである。正直胸が痛い。
▼とは言え見直した際に誤変換が見つかった。「この出来事から、今週の糧をわたしたちも得ることにしましょう。」は正解だが、6年前は「わたしたち燃えることにしましょう」で配信し、ブログにアップしている。燃えていたのだろうか。



15/01/24(No.809)

▼黙想会の原稿が整った。小教区では4回話すが、違う小教区でも話すので都合5回分の原稿を整えた。説教案で紹介した通り、「信仰に生かされ・信仰を生き・信仰で次の世代を生かす」という信仰の伝承を念頭に話をまとめている。
▼いろいろ、黙想会の構想を練るにあたっての断片のようなものは思い付いたときにメモを残したりしていたのだが、実際に書き上げてみると、断片のメモの10分の1も利用できなかった。断片を拾い集めて一つにまとめるのはまた違う才能が必要なのかもしれない。
▼「福見教会とともに」という福見教会献堂百周年のために用意した歌があるが、ちょうどこの歌詞の内容を展開したような黙想会の内容になっている。「福見教会とともに」の歌詞はわたしが用意したものだが、「過去を告げ知らせる」「現在を告げ知らせる」「未来を告げ知らせる」この3つが歌詞に盛り込まれている。
▼信仰の伝達は、つまりこの「過去」「現在」「未来」を信仰の切り口で語るということだと思っている。過去を聞いた子供たち孫たちが、受け継いだ信仰の価値に気付き、実際に信仰を生きてみて追体験し、確信を持って次の世代に伝える。こういう営みが信仰の伝達ではなかろうか。
▼黙想会に参加した人たちも、本当は黙想の話を聞きっぱなしではなく、それぞれの話を受けて分かち合いをするとか、話を聞くたびに感想をメモしておくとか、何かをすれば話が定着すると思うのだが、そのあたりは今後の課題かもしれない。「黙想が終われば信者の務めを果たせる」この固定観念がまだまだあって、「黙想会を活用する」という立ち位置にいないのが実情である。
▼「黙想会原稿プリント」と「黙想会録音CD」が活用される場が広がればと思っている。何か活用のアイディアがあれば教えていただきたい。



15/01/31(No.810)

▼鼻水が出ている。火曜日になってから鼻水が出始めた。さかのぼってどういう生活をしていたか考える。思い当たる節があった。ただ時間はもとには戻らないので、今は鼻づまりに手を焼きながらの日々である。
▼頭もぼーっとするため、説教も新しいものを用意できず、古いものを引っ張り出して違うたとえを無理にはめてみた。不本意ではあるが、考える力が続かないので背に腹は代えられず、申し訳ないと思っている。
▼先週日曜日は雪の中を長靴で歩いて巡回教会に出向いた。巡回教会にはミサの時間を1時間遅らせてほしいと伝え、午前10時を目標に歩いた。深い雪を踏みしめながら、誰も歩いていない雪道を歩くのは大変ではあったが、巡回教会の信徒が待っていると思えば苦ではなかった。
▼この巡回教会では翌日もミサをするようになっている。そこで日曜日のミサをささげた後はもう帰らずに、そのまま巡回先の司祭館に滞在した。翌日のミサまで退屈だったが、大相撲は日本人力士の優勝で少し楽しませてもらった。
▼月曜日の朝、雪はまだまだ降り続いていて、誰も教会に来そうにないので修道院のチャペルでミサをした。シスターたちに教会まで歩いて来なさいと言うよりは、わたしが出向いたほうが簡単だと思ったのでそうすることにした。さすがシスターたち、出かけてみるといつもと変わりない。変化する社会の中で、変化しない聖域だと思った。
▼さて巡回先に長靴で歩いて出かけたわたしは、同じように歩いて帰らなければならない。昨日の距離をまた歩いて帰るのかと思うと歩く前からため息が出たが、まぁ帰ってから風呂で体を温めればいいやと、唯一それを楽しみにして出発した。
▼いざ浜串が眼下に見えるところまで歩いてきたとき、町内放送が流れる。「水道管の破裂で浜串地区、○○地区、○○地区などは断水しております。ご迷惑をおかけしております・・・。」それはあんまりだ。着ていたものはすべて取り換え、汗もできるだけ拭いたが、この日の過ごし方が悪かったのだろう。鼻水が止まらない。



15/02/07(No.811)

▼上五島地区で上演が予定されている信徒発見劇の出演者に選ばれ、練習に参加させてもらった。まずは、当時の浦上キリシタンが大浦のプチジャン神父に会うまでのいきさつを、よく頭に覚えこませることから始まる。
▼150年前、何が起こったのだろうか。どんな気持ちだっただろうか。思い巡らせることで「信仰の過去を知る」努力をした。役作りが始まると、配役になりきろうと考える。150年前の人物を、全身で表現して生き生きとよみがえらせたいと当然思う。
▼練習を重ねるうち、登場人物が劇を観に来てくれる信徒たちに共感できる人物となっていく。「この人たちは悩みながらも懸命に生きている自分たちと同じだ」そう思えるようになってくる。「信仰を現在化する」働きがそこにはある
▼ついに信徒発見劇を観終わった会衆が、「わたしたちが受け継いだ信仰は、次の世代に伝えなければならない。先祖が伝えてくれた信仰は、未来に遺してあげるだけの価値がある」と納得し、生活に戻っていく。自然な流れで「信仰を未来へ遺す」この気持ちが内から湧いてくる
▼練習に参加して感じたことは、「信徒発見劇は信仰の過去を振り返ることだけでなく、現在の信仰を刺激し、未来の信仰へと繋いでいく力を持っている」ということだ。その一つの形として、各地で上演した信徒発見劇を観た子供たちの中から、司祭修道者の召命が芽生えてくれればと願っている。



15/02/14(No.812)

▼どんな環境でもぐっすり眠れるというのは特別な恵みだと思う。かつては睡眠をとるのに苦労はなかったが、最近は眠れないこともある。それでも最終的には眠っているからまだ大丈夫だとは思うが、いまいち目覚めが良くない日をときおり迎える。年齢が関係しているのだろうか。
▼一方で、90分くらいで8時間も9時間も眠ったような感覚になるときがある。すぐに寝付いて、あーよく寝たと思ったら90分くらいしか経過していない。そんな時はなんだか得をした気分である。残りの時間はボーナスをもらったような睡眠時間だから、仮に眠れなくても朝はまだ数時間後だ。
▼眠りというのはとても複雑だなと思う。長い時間横になっても眠った気がしない時もあるが、短い時間で長く眠った感じになることもある。不思議だがわたしはどちらかというと一定の時間を使って眠りたい。この頃は長く起きているのも楽しく感じないのだ。
▼今までは考えもしなかったことだが、これからは起きている時間どのように過ごそうか、その場その場で考えながら選ぶようにしたいと思う。かつては無為に過ごす時間もそれはそれでありだったが、今は無為に過ごす時間があると、「今の時間は何だったのだろうか」と悔やむことが多くなっている。
▼無為に過ごす時間を回避するために、いくつかの選択肢を持っておこう。1時間失うことは昔も今も変わらないから、これは対象外として、2時間でできること、3時間でできること。この2種類があれば時間の使い方で悔やまなくて済むかもしれない。
▼2時間でできることと3時間でできること。何があるだろうか。場所にもよる。今なら3時間あればお魚を釣ってきて晩の刺身くらいは確保できるが、場所によっては同じことはできなくなるだろう。着替えて現地に向かい、帰ってきて自分の体を洗い、魚の下処理をする。そこまで3時間でできるのは目の前に海がある場所に限られてくる。
▼2時間の場合と3時間の場合の、いろんな選択肢を考えておこう。あと1ヶ月ほどで50歳になるから、おおよそ残りの時間は25年だ。その中で後半の人生の歴史を刻むことになる。若い頃はそうでもないが、これからは無為に過ごす時間はもったいない。



15/02/21(No.813)

▼「母と暮らせば」という映画を観た。長崎で原爆に遭った人々と、長崎の原爆で運命が変わった人々のドラマが取り扱われていたと受け止めた。主人公とその母親がほとんどの場面を構成していたが、映画が終わって疑問が残った。
▼「母と暮らせば、どうなるというのだろう?」この疑問が解決しないで映画館を出てきた。「母と暮らせば、母の悲しみを少しでもいやすことができる」ということなのだろうか。「母と暮らせば、母の考えがより深く理解できるようになった」ということなのだろうか。よく分からなかった。
▼映画のタイトルと映画がうまく重なると、「あー、だからこの映画のタイトルだったのか」と合点がいく。しかし今回の映画はそういうすっきりした答えが得られずに帰ってきた。わたしの頭が悪いのだとつくづく思った。
▼実はわたしも「こうじ」という名前である。映画の間、ずっと主演女優の吉永小百合さんが「こうじ」「こうちゃん」と言っていたのでくすぐったかったが、それにしても母と暮らせば何があるのか、よく分からなかった。
▼ここ6年ほど、母親と同じ上五島に住んだ。それは言ってみれば「母と暮らせば」という場面設定である。母と暮らせば、何が見えるのだろうか。何を感じることができるのだろうか。わたしがこの6年で感じたことと言えば、「わたしはこの母の子なのだなぁ」ということくらいだ。
▼今週は大変忙しい週になる。20日(土)と21日(日)が上五島石油備蓄記念会館で演劇、21日(日)夜から25日(木)までの黙想会。演技は全力でこなし、黙想会の指導は体をいたわりながらすることにしよう。



15/02/28(No.814)

▼黙想会を終えて一安心。6年間この小教区に赴任し、思うところもあるので黙想会は自分にとっても話す良い機会となった。黙想会を受ける多くの人に、「黙想会は新たな出発をするきっかけです。しっかりあずかりましょう」と促した。「エクゾドス」「出発」の良い機会となればと思っている。
▼黙想会中は午後の時間が空いている。だから心置きなく釣りに出かけようと早くから計画していた。黙想会の原稿を準備し始めた頃からずっと、「昼の時間には毎日魚を釣って、刺身を食べるぞ」と思っていたのだが、実際には精も根も尽き果て、昼間はずっと昼寝していた。布団に潜り込みながら、「こんなはずではないのに・・・」と思いつつ。
▼話すという作業は、意外に体力を使うもので、ささっと話を終えて釣りに・・・と思っていても体は正直である。「無理だよ。夜の部の体力を温存しないと、浜串→福見→高井旅の連続黙想会はもたないよ」とブレーキがかかるのである。50を目前に、体の声には逆らえなくなってきたことを実感した。
▼信徒発見劇上五島公演に出演させてもらい、多くの方から声をかけてもらうようになった。中にはわたしの知らない人からも、「与作は神父様が演じていたんですね。とても素晴らしい演技でしたよ」とお褒めの言葉をいただいた。大変ありがたいことである。
▼演技に大切なことは、「その役柄に入り込むこと」だと思う。演技がうまい下手だというのは二の次で、その人柄に入り込めば、観ている人は「その登場人物はこんな人柄なのだろう」と皆が受け止めてくれる。わたしはその意味では役に入り込めたのでひとまず成功だろう。
▼ただ悔しいことに、練習で一度も失敗しなかったのに、本番初日のセリフは間違ってしまった。「フランス寺(大浦天主堂)見物に行った人たちの間では、もっぱらの評判でござります」と言うべきところを、「長崎見物に行った人たちの間では、もっぱらの評判でござります」と言ってしまった。痛恨の極みである。



15/03/06(No.815)

▼長崎県は南北に長い県である。その長崎県内で長崎教区は統計上72の小教区を持ち、修道会と教区司祭とで司牧が続けられている。わたしもすべての小教区を訪ねたわけではないが、子供たちには長崎教区の広さ、多様さについて少し知ってもらいたいと思い、長崎県地図を持ち出して次の条件下で長崎教区全体を見渡すことにした。
▼その条件というのは、現在住んでいる南松浦郡新上五島町から、朝出発して何とか夜に帰り着く。その条件の下で長崎教区のどの小教区まで訪ねて行けるだろうか。こういう条件設定である。言うまでもなく新上五島町は五島列島の旧五ヶ町が合併した地域である。
▼まず、意外に思われるかもしれないが、上五島から下五島(五島市)を巡るのは結構難しい。この下五島だけを先に紹介すると、五島旅客船という船会社が運航している五島域内を巡る船に土井ノ浦港から乗船し、五島市内の各教会巡りが可能だ。最後は同じ船の最終便に乗って土井ノ浦港で下船し、自宅に戻る。このコースがまずある。
▼次に長崎県本土の小教区巡るコースだが、長崎本土には九州商船が奈良尾港から長崎へ、また有川港から佐世保へ運航している。同じように五島産業汽船が鯛之浦港から長崎へ、また有川港から佐世保へ運航しているが、ここでは九州商船の高速船で日帰り可能な場所、そして奈良尾港から長崎にわたってからの日帰り巡礼という設定に絞ってみる。
▼奈良尾港から長崎に向かういちばん早い便は午前8時5分。この時間の高速船が9時20分に長崎の大波止港に到着する。長崎本土に渡ると、すぐに移動するためレンタカーが必要である。まぁ適当な会社からお借りしたとして、およそ10時から出発。帰りの高速船でいちばん遅いのは16時30分。長崎の大波止港に16時に到着するとして、10時から16時までの6時間で回れる地域・訪ねていくことのできる小教区を考える。
▼じっくり巡礼地の教会で祈ることはできないが、島原半島の教会をさっと見て帰って来ることは可能だと思う。また、大村湾を囲むように一周し、周辺の小教区をチラ見して帰って来ることは可能だと思う。また佐世保市内の教会なら途中高速道路を利用すれば、いくつかに絞って巡礼可能だ。
▼問題は県北の教会である。わたしの計算では、平戸大橋を渡ったその向こうの小教区には、上五島からの日帰り巡礼は難しそうだ。16時30分の便に間に合わなければ他の方法がないのだから、平戸島、生月島は日帰り巡礼からは除外となる。そうすると県北の小教区巡りは、ギリギリ平戸大橋手前の小教区巡りまで、ということになるだろう。
▼子供たちと、このような話をしながら、君たちが大きくなった時、または家族で、日帰りの教会巡礼を計画したら、今日の話を参考にして最大限長崎教区のいろんな小教区に興味関心を持ってほしいと、教会学校でこういう話をした手前、なんとなく長崎教区の学びになるようなオチを付けて話を終わった。



15/03/13(No.816)

▼というわけで転勤となった。わたしの中では「マンションに住む」と言い聞かせている。マンションの名前は「リベルタ・ビラ(Liberta Villa)312号室」。分かる人は分かると思うが、分からない人は分からないまま放置しておこう。最近、分からない人のフォローをすることに少し疲れたので。
▼木鉢教会の黙想会は素晴らしい環境の中で行わせてもらった。金曜日の夜には、「大変お世話になりました」と、お礼のはがきを一枚用意し、土曜日に投函した。皆さんよく話を聞いてくれたし、ふだんすべりまくっているおじさんギャグも上々の反応だった。
▼何より、主任司祭の人柄が理解できたことが良かった。わたしと木鉢教会の主任司祭の接点と言っても、実際にはそんなに思い当たることがなかったのだが、黙想会中の食事のたびに、夜の部を終えたあとに、じっくり話を聞いたり質問に答えてもらったりした。気配りにも感心した。
▼バイクを処分することにした。ボートも、名義を変更して面倒を見てもらうことにした。新聞も今月いっぱいで止めるつもりだ。ほかにも、転勤にまつわるさまざまな案件を処理しなければならない。3月いっぱいで荷造りをして、引っ越し単身パックで引っ越しだ。
▼新しい任地で、どんなことが待っているだろうか。あちらが待っていることと、こちらが続けたいこととがある。よく考えながらということだろうが、いずれにしても環境を変えてもらうので、もう一度ねじを巻きなおしたい。移動するすべての人が、今同じことを思い、同じことをしているのだと思う。今年4月、上五島では3司祭の異動がある。



15/03/20(No.817)

▼聖週間が始まった。わたしの中では、始まった時点で終わっている。それはこの日までに、復活の主日(日中)までの説教が出来上がっているからだ(の予定だったが間に合わなかった)。例年通り、プリントを作ろうと思えば、受難の主日の今日には「聖週間の説教」という冊子を作ることができるのだが、今年は引っ越しのドタバタでそこまでの時間はない。
▼一応、ネット上には冊子になった時の状態の物をアップしている(予定だったが)。それが今年せめてものイースタープレゼント。必要があれば、プリントアウトしてご利用あれ。そんなもの好きな人がいるの?と思っているけれども、18日(金)の時点では非常に有難い声をいただいている。
▼「中田神父の説教を毎週楽しみに福見教会に来ていたのに、今度からはどうなるのだろうか?」有難い言葉だが、今度からの主任司祭もきっとみことばの食卓から食べさせてくださるに違いない。わたしは聞く人の力に応じて、聖霊が説教者の話を理解させてくれると思っている。
▼聖週間とは直接関係がないが、引っ越し準備で司祭館はてんやわんやである。大事故・災害などで同時に多数の患者が出た時に、手当ての緊急度に従って優先順をつけることを「トリアージ」と言うらしいが、まさに司祭館全域で「これは残す。これは捨てる。これは手放す。これは持って行く」と選択をしているところだ。
▼何とまぁ、どうでもよいものを持ち続けていたものか。どうでもよいものはすぐに処分できるが、「どっちにするか。救うか、救わないか?」この当落線上にあるものは初めのうちは「残す」にしていたが、途中から「ここで一線を引こう」という気持ちになり、「残さない。処分!」と方針を変えた。
▼たぶん、持っておけば存在価値はあると思う。しかし、存在価値を「残す残さない・救う救わない」の基準にすれば、かなりのものをまた持ち続けることになる。ここはひとつ、多少困るくらいの分量にしてから、再出発をしようということに決めた。



15/03/24(No.818)

▼聖金曜日、イエス・キリストはわたしたちのためにいのちをささげてくださった。説教でも話したが、キリスト者のどこかに「十字架のキリストを敬遠する」そんな意識があると思っている。それは教会を訪ねてきた人の中に「どうして十字架にはりつけにされているのですか」と尋ねる人が少なくないことからも伺える。
▼ここで自信をもって、「十字架のキリストは敗者ではなくて勝利者なのです。誰もイエスを死に追いやることはできませんでした。イエスは自ら進んで、すべての人の救いのために、十字架を受け取られたのです。」まぁこんな説明ができれば、中には心を動かされてもっと話を聞いてくれる人もいるのではないかと思う。
▼わたしたちが十字架のキリストを告げ知らせることにためらいがあるなら、十字架のキリスト像を怖がっている人に説明できるはずがない。そこを乗り越えることができずに、宣教が行き詰っているのではないだろうか。
▼今日は断食の日でもある。イエスがお亡くなりになったことを、断食を通して思い起こす。お腹が空くのはかなりこたえる。その空腹感の中で、イエスの苦しみ、犠牲をしのぶ。わたしたちもいつか死ぬ。その時に、イエスの死に倣うことができるように、聖金曜日の断食は遠い準備と言えるかもしれない。



15/03/25(No.819)

▼聖木曜日のわたしの忘れられない思い出は、病人に御聖体を運んだことだ。病人にはいつでも聖体を運ぶことが許されている。たとえ聖金曜日でもそれは変わらない。聖木曜日だということは病人本人は忘れていたが、「今日は聖木曜日です」と説明したら、「聖木曜日に御聖体を運んでもらえるなんて」と深く感謝された。
▼聖木曜日に兄弟愛を実践することは、福音的で素晴らしいことだと思う。何も病人訪問に限らなくても、施しをすることであったり、家族の中での助け合いだったり、近くにいる人に身の回りのお世話をしに行ったり、いろんなことで兄弟愛の実践をして、イエスが弟子たちを深く愛してくれた模範を人に示すなら、もっとカトリックの信仰は容易に広まるだろう。
▼今年は、病人訪問には行かないかもしれない。残念ながら、兄弟愛の実践は、目の前の引っ越しの荷物片付けによって脇に追いやられてしまっている。まぁこれも、後任の司祭へ気持ちよく引き継いでもらうための「兄弟愛」だと言えるかもしれないが。
▼気がかりなのは、病者の塗油を授けた人たちである。ここ数日で、病状が悪化したりするとわたしの片づけはストップするわけだから、それはちょっと困る。かと言って後任の司祭に丸投げというのも気が引ける。悩ましいところだ。できれば命の危険を脱して、健康を取り戻してほしい。



15/03/26(No.820)

▼復活の出来事は「空の墓」から始まった。そこで「空っぽ」の話を。転勤に伴う引っ越し作業でみるみるうちに部屋の中から荷物が、物が消えていく。机の上が見渡せるようになった時に「こんなに広かったんだぁ」と感動する。机の引き出しも空っぽになった。
▼引き出しが空になったのはよかったが、思わぬ落とし穴が待ち構えていた。ゆうちょ銀行の通帳、親和銀行の通帳、十八銀行の通帳などを無造作に箱に投げ込んだらしいのである。引き継ぎの通帳を後任の司祭が入った時にすぐ目に付くところに置こうと考えていた時、「はて、個人の通帳はどこに行った?」と不安になった。
▼いろいろ考えた挙句、どうやら別に取り分けたわけではなく、箱に投げ込んだらしいという結論になった。しかたなく、机の物をまとめて入れた箱を開けてみたら、本当に放り込まれていた。おそらく机を空にする作業中、集中力が切れてしまったのだろう。机を空にすることだけが頭にあって、大事なものを取り分けることまで頭が回らなかった。
▼もし通帳を発見できなかったら、すべての窓口に行って再発行を願わなければならなかったかもしれない。見つかって事なきを得たが、見つけた通帳を眺めながらゾッとした。
▼片付けと荷造りの中で、少なくとも2万円ほどの現金が見つかった。片づけを手伝ってくれる人たちに何か差し入れをしよう。要らないと言われるかな(笑)



15/03/27(No.821)

▼この復活の主日の時点では、引っ越しの荷造りはほぼ終わっていて、あとはあえて荷造りしなくても車に放り込んで車と一緒に引っ越せるものだけが残っている(ことになっている)。その中には釣り道具があって、これは最後まで手放せない。最後の一匹まで浜串の魚を釣って「さよなら」とあいさつして去っていくつもりだ。
▼今回の転勤は周りから「田平かぁ。いいなぁ」と言われる。引き継ぎを聞いた範囲では問題山積ということではなさそうだが、ただ「取り組むべきことが山積」という感じはしている。だから「取り組むべきこと」を知った上で「いいなぁ」と言うのであれば、もしお望みであれば代わってもよい。代わらないだろうけど。
▼さまざまな公共機関を利用するチャンスが出てきそうだ。たとえば田平から佐世保市内にやってくるときに、第三セクター(だったと思うが)の松浦鉄道を利用する場面も出てきそうだ。あるいは西肥バスで行くことも。同じように、長崎市内に出るときも、電車、バスを乗り継いで行く場面もあると思っている。いろいろ調べるのは楽しいものだ。
▼ただ、故郷の新上五島町鯛之浦に出ていく時が問題だ。可能性としては、田平から佐世保港に出てきてフェリーに乗る方法。これからは高速船ではなく、フェリーにバイク(もしくは車)を乗せてのんびり出ようと思っている。
▼もう一つは、思い切って博多港に出て、そこから夜11時45分のフェリーで五島に渡る。遠回りだが、朝6時に五島に上陸するメリットは魅力的だ。一日釣り三昧で時間を使って、実家で刺身を分け合って食べて一晩過ごし、帰りは佐世保経由で帰るという手もあると思う。
▼復活の主日と全く関係のない話ばかりで申し訳ない。しかし復活の主が行きなさいと言ったところでまた働く。この繰り返しの旅の中で、いくらかでもお役に立って、人生を全うしたい。



15/04/03(No.822)

▼ようやくこの文章を書く時が来た。今回の転勤で、陸続きのところに異動となった。これまで「大島→伊王島→五島列島」だったので、「瀬戸の花嫁」を歌ってお別れしていた。「島から島へと 渡って行くのよ」という歌詞が、うまくはまるからだ。今回はそうはいかない。何か、適当な歌が見つかるだろうか。
▼こだわりがあるわけではないが、歌うとやはり雰囲気を作ってくれる。いい歌があればいいが、なければ卒業の「蛍の光」ということになるのだろうか。今回もフェリーでのお別れになる。フェリーの別れは辛いものだ。長く姿が見えているし、それだけ別れもひとしおだから。
▼たった一つ気がかりと言えば、インターネットプロバイダーのこと。これまでは新上五島町が委託して民間のインターネットプロバイダーが利用できないへき地対策で立ち上げられた「つばきネット」を利用していたが、どうやら新しい土地には「フレッツ光」に当たるサービスは届いていないらしい。わたしは高速通信を利用したいが、これから数年のうちに環境が改善されるのだろうか。
▼あまり気分が乗らない中で原稿をまとめている。この原稿は3月いっぱいで準備されたものだ。本来ならば、4月に入ってからの気分で書きたいところだ。これが五島での最後の「ちょっとひとやすみ」だというのに、
▼木は、その成長に応じて植え替えたりする。わたしはもうすぐ神の手によって植え替えられ、新しい土地に根を下ろす。新しい土地の養分をいただいて、新しい芽を出し、皆に利用してもらうことになる。木の周りに集まる人々にとって、わたしの存在はそんなにたいしたことではない。大切なのは「キリストという木に繋がている枝かどうか」ということだ。
▼こだわりがあるとすればこうだ。「日曜日のミサ説教が、キリストという木に繋がった枝としてキリストの養分を人々に届けているかどうか。」ただ一つのこだわり。ここがわたしの存在意義であり、新しい土地でもそのことを決して忘れずに精進しよう。

【希望の聖母に今日を託す祈り】
(浜串教会の岬に立つ)希望の聖母よ、
わたしたちの一日の始まりに
そばにいて、見守ってください。
天候に左右され、危険と向き合う漁に出ます。
厳しい競争が待っている学校や職場に出ます。
肩を落としそうになるとき、励ましてください。
わたしたちの願いを、いつも取り次いでください。
あなたがわたしたちの願いをイエスに取り次ぎ、
イエスが必ず願いに応えてくださいます。
いつも、わたしたちの希望でいてください。
道に迷うとき、確かな道イエスを指し示してください。
そしてすべての務めを終え、眠りに就くとき、
明日も見守ってくださる母でいてください。アーメン。



15/04/10(No.823)

▼涙がうっすらにじんだ船出だった。見送りのうちの何人かに、心のうちを打ち明けずに旅立った。それが自分の中での心残り、もしかしたら見送ってくれたその人の心残りだったので、涙をそそったのかもしれない。
▼鐘を鳴らすつながりで、最後は大声で「浜串教会の鐘を鳴らすのはあなたです。福見教会の鐘を鳴らすのはあなたです。田平教会の鐘を鳴らすのは?」と叫んだら、ちゃんと「あなたです」と返事をもらうことが出来た。
▼だんだん船が有川港を離れていく。気持ちも離れていき、頭は切り替わる。これから田平町に住み、田平教会の主任司祭となる。佐世保港が見えてくると、いよいよその覚悟がついてきた。レンタカーを一台借りて、いざ田平へ。
▼ここからは迷うことのない道なりの旅。そう思っていたが、何度か道を間違え、車線変更のため隣の車にぺこぺこ頭を下げながら軌道修正しつつ田平教会へ。いよいよ近づくと、運転は付き添いをしてくれた信徒にお願いする。
▼嬉しい田平教会初上陸。生涯初ではないのだが、初めて旅行者としてではなく住人として田平教会の空気を吸った。ここでどれくらいの時間が与えられるかわからないが、与えられた務めを精一杯果たすつもりだ。よろしくね。
▼実感はあまりない。けれども赴任の日に自己紹介された人の顔と名前を覚えようと懸命に頭を回転させたので、ああ、なんとなく始まるのだなと、そういう思いは湧いてきた。ただ二度と忘れない名前と、何度聞いても覚えられない名前があるのはなぜだろう?



15/04/17(No.824)

▼「今週のネタにちょうど・・・」と思っていたネタも、このたびの熊本大地震で吹っ飛んでしまった。これは大震災とも呼べるほどの被害だ。専門家が14日のは前触れで、15日が本震だとの見解を出した。両方とも平戸市田平町まで揺れが届いた。
▼熊本であんな被害が出る地震に見舞われるのだから、もはやどこも安心ではない。わたしの思い過ごしかも知れないが、地震で教会の鐘が鳴ったのは生まれて初めてだ。聖堂にはこれといった影響は見られないが、あらためて「何があってもわたしたちは揺れない」という神への信仰を確認する必要を感じた。
▼地震は確かに怖いが、わたし個人の問題では引っ越し後にパソコンの調子が悪くて恐れている。トイレに行って戻る、その5分くらいの間にハードディスクが固まって、にっちもさっちもいかなくなることが多発している。仕方なく電源を無理やり落とす。
▼こんなことを繰り返していると必ずハードディスクが壊れる。その前にハードディスクのクローンを作っておきたい。そうは思うがなかなか行動に移さない。このままでは大量のパソコン資料を無駄にしてしまいかねない。どこで線を引いてパソコンを退役させるか。そこが問題である。
▼教会の下の浜、遠浅で五島の蛤海水浴場を思い出した。まだ具体的な計画はないが、十分釣りもできそうだ。まずは浜から投げ釣りをするか。



15/04/24(No.825)

▼教会学校小学1年生の代用教員として土曜日午後1時半の要理を受け持った。はじまりは一週間前で、保育園に務めるシスターが「たびら春祭り」に太鼓の演奏を保育園から出すということで、午後からの教会学校と重なり、要理はどうしましょうかと相談されたのがきっかけだ。
▼「ピンチヒッターしてもかまわないよ。」二つ返事で受けた。シスターは大喜びだ。いよいよ当日になってみると、雨が降り、太鼓の皮が痛むので演奏は中止になるらしかった。ただし「神父さま、きっと子供たちのけいこはしたいでしょ?わたしは今日は予定通りお休みさせていただきます」とちゃっかりけいこは回ってきた。
▼引っ越すと必ず体験することが3つあって、1つは町内放送がまだ慣れないせいか聞き取れないこと。2つめが個人で引いている固定電話に間違い電話がかかってくること。3つめが寝坊して迷惑をかけることだが、1つめと2つめはちゃんと経験したが、3つめはないなと高をくくっていた。なぜなら今回赴任した教会には巡回教会がなく、寝坊してもほぼ被害がないからだ。
▼ところがそこが落とし穴だった。今週の説教と午前中格闘して昼食後、ウトウトしてきたのでつい居眠りをしてしまった。気が付いたら午後1時35分ではないか。慌てて信徒会館に行ってみると、代用教員のルーズさに呆れ果てた小学1年生が玄関で待ち構えていた。
▼「はやく〜。」遅れたことを咎めることもなく、快く迎えてくれた子供たちに救われた。予定していたことをこなしたが45分の持ち時間のうち15分で終わってしまい、もしも時間が余ったらと思って用意していた「聖書かるた」を目一杯やって、こちらがメインのような感じになってしまった。



15/05/01(No.826)

▼教会には役場の「戸籍」にあたる大切な台帳がある。いくつかに分かれていて、それぞれを手書きで連動させる。まず「洗礼台帳」。ここに洗礼を受けたすべての信徒が記録される。次に「堅信台帳」。長崎教区では中学生の頃に堅信を受けるが、それを記録する。
▼堅信を受けると、さかのぼって洗礼台帳にも「この人は堅信を受けました」という証拠を追記する。人によっては転出していき、転出先の教会で受けた堅信証明書が届き、それを洗礼台帳に追記する。
▼さらに多くの人は結婚する。すると婚姻台帳にまず婚姻の内容を記録し、さらにさかのぼって洗礼台帳にも「この人は結婚しました」と追記する。面倒なのだが、記録はとても大切なのである。場合によっては違う教会で結婚式をするから、婚姻証明書が届いた時点で追記する。
▼もしもこの人が死亡した場合、死亡台帳に死亡した旨を記録する。場合によっては違う土地に住んでいてそちらの教会で葬儀を済ませ、「死亡しましたよ」と死亡通知書が届くので記録する。
▼さらに手順がある。これら一連の台帳記録を済ませたのちに、堅信証明書と婚姻証明書、死亡通知書は最終的に教区本部に転送する。こんなめんどくさいことをすべての司祭がちゃんと果たしているのだろうかと思うこともある。まぁきっとまじめにやっているのだろう。
▼ここからが本題だ。それぞれの台帳も歴史を重ねてくると古びてくる。教会によっては製本された台帳を100年以上保管するわけだから、当然傷みも激しい。赴任した田平教会の台帳も、手を打たなければ本がばらばらになって大切な記録も散逸してしまう恐れすらあった。長くなるので来週に続く。



15/05/08(No.827)

▼先週の続き。そこで平戸地区で印刷所がないか、コピー機を納入している業者に尋ねたところ、とある印刷所を紹介された。名前を聞いてギョッとした。前任地で福見教会百周年記念のためにパンフレットを制作してもらった印刷所ではないか。
▼ギョッとしたのにはわけがある。何度かやり取りをして完成した福見教会百周年記念ミサのパンフレットだったが、校正をやり取りしているうちに仕事のいい加減さに頭に来て、「あなたたちには金も払いたくない。もう二度とお世話にならない」と啖呵を切って終わった業者だったのである。
▼どんな仕事内容だったかは割愛するが、それでも印刷屋か、素人でもこんなミスはしないぞと、こてんぱんに言った記憶がある。その印刷所の代表取締役が、あいさつを兼ねて訪ねて来たいという話だった。ここは覚悟を決めて、わたしも謝って新しく付き合いを始めようと考えた。
▼その印刷所の社長は思いのほか若かった。雰囲気はマグロの初セリで毎年最高値で落札することで有名な回転寿司社長のようだった。「社長はわたしのことを知らないでしょうが、わたしはあなたの会社を知っています。以前依頼した仕事の出来に腹を立てて、二度と取引しないと言いました。こんな形でお世話になるとは思っていませんでした。当時のことは謝るので、これからよろしくお願いします。」
▼社長は何を言われているのかさっぱりわからない様子だった。わたしは前もって準備していた福見教会百周年記念ミサパンフレットと、当時数回やり取りした校正のゲラ刷りを示して、「こういうミスは、とてもじゃないが受け入れられなかったので、腹を立てたのです。すみませんでした」と説明した。社長は初めて事実を知ったのか、申し訳なさそうに謝ってくれた。
▼ここからようやく仕事の依頼である。背表紙が役目を果たしていない様子を実際の台帳を見せて説明し、状態の良いものを参考にして、同じように製本し直してほしいとお願いした。期間と、費用はこちらの希望を出し、教会の財産なので、立派に仕上げてほしいとお願いした。
▼まぁ人間のすることだから、腹を立ててきついことを言うこともある。しかし言われた相手もなぜ言われたのかを理解して、これからの付き合いで挽回しようという誠意を見せてもらった。2年後は田平教会の献堂百周年が待ち構えている。その時にはぜひ、立派なパンフレットを立派な仕事ぶりで作成してほしい。



15/05/15(No.828)

▼傑作な話が毎週毎週発生するが、こまめにメモを取らないものだからどういう話だったか忘れることが多い。一度体験したことは脳から直接データを取り出せるような発明をしてくれないだろうか。眠らせて夢を発生させてデータに取り込むとか、夢物語のように聞こえるかもしれないが、そんなことが出来たら、忘れる前に保管できるのにと思う。
▼大神学院の生徒たちを率いてA神父さま一行が田平教会を訪ねて来て、その日の晩信徒会館に宿泊した。5月の連休でもあり、巡礼をしていて、前任者との取り決めで宿を貸してもらうことになっていたらしい。翌朝のミサをA神父さまも一緒にささげてくださり、大神学生たちも参加した。
▼わたしは大神学生を念頭に置いて、次のような話をした。「司祭に求められる資質の一つとして、どこででもどんな状況でも、ぐっすり眠れることは大切だと思います。」赴任した教会の主任司祭と折り合いが悪くなって一言も口を利かなくなったとしても、それでもぐっすり眠ることが出来なければ、この先続かない。
▼あるいは、赴任した先にこれまでの積年の問題が山積していて、思わず逃げ出したくなるような状況になっているかもしれない。それでもぐっすり眠れなければ、先は長いのである。だから、どんな状況であっても眠れる。これは大切な資質だと思うと話したのだった。
▼ところでこの日、小学生の侍者が3人来ていた。5人兄弟の上から3人が来ていたわけだが、長男と次男に挟まれて侍者をしていた三男が、何と第一朗読中から居眠りしていたのである。当然説教中も寝ていたわけだが、ミサが終わった時に共同司式をしてくれたA神父さまがその子を呼び止めた。
▼「やあキミキミ。ミサ中神父さんが何を話していたか分かるかい?どんな場所でも、どんな場面でもぐっすり眠ることが出来るのは司祭に求められる資質だと言っていたよね。キミはどうやら司祭に必要な資質が備わっているようだね。神学校に来なさい。」



15/05/22(No.829)

▼以前書いたかもしれないが、「これ以上はないだろう」という想定は、結局書き換えられるので意味がない半面、いちおう、そういう想定は持っていたほうが良いとこのごろ思う。ある小教区にいた時、言い方はよくないが「歌が下手な」巡回教会があった。日曜日のミサをささげながら、「気が散るから、もう歌わなくてもいいのに」とさえ思うような状況だった。
▼ところが、違う小教区に赴任してみると、それを上回る「歌の下手な」巡回教会が待っていた。「まさかここより下手な教会があるとは」と初めのうちは思ったものだが、想定も書き換えられてみると楽しいもので、「この次、もっと歌の下手な教会に巡り会うのはいつだろう」と、変な期待を持ったりする。
▼今この時点でも、「これ以上ひどい状態はないだろう」という現実と向き合いながら日々を過ごしている。なぜここまで先延ばしにして、結局それを片付けないで時間だけが過ぎたのだろうか。なぜこんなひどい状態からわたしはスタートしなければならないのか。本当に驚き、腹立たしさで大声を出したくなる。
▼しかし、「これ以上はないだろう」という想定のもとに現実と向き合えば、それはそれで楽しくなる。きっとこれ以上のひどい体験はしないに違いない。ここで積んだ経験はこの先何倍にもなって帰って来るだろう。ただし、多くの場合「これ以上はないだろう」という想定は書き換えられ、さらにひどい状況に置かれることになるのだが。
▼それでもいいじゃないか。今は「これ以上ひどい状況は考えられない」と思って作業ができている。それに、どれだけあがいても50歳の私が残り担うことのできる時間は25年である。これ以上のひどい状況がこの先待っていたとしても、25年もすればすべて思い出に変わるのだから、楽しんでいこう。



15/05/29(No.830)

▼黙想会で思わぬ餌に引っ掛かり、釣り上げられてしまった。例えるなら、ふつうであればたやすく見破る疑似餌に引っ掛かった魚のような気分だ。日本カトリック神学院東京キャンパスに派遣されている後輩の長崎教区司祭N師が黙想会に参加していて、声をかけてきたのが始まりだった。
▼「東京の大神学生たちのために『月の静修(ミニ黙想会のようなもの)』を引き受けてくださってありがとうございます。」「はぁ?知らんぞ。」「またまたぁ(笑)指導をしてくれる神父さまの名前の欄に、ちゃんと先輩の名前書かれてましたよ。」
▼「何の話だ?俺は何も知らんぞ。」「だって先輩、神学院副院長である鹿児島教区のN師の電話依頼を引き受けてくれたんでしょ。快く引き受けてくれたって言ってましたよ。」わたしの頭はさらに混乱し、本当にそういうやり取りがあったのか確認してくれと念を押した。
▼翌日のことである。前任地である浜串教会に赴任したS師がわたしのそばに来て、神妙な顔でこういった。「先輩、落ち着いて聞いてください。実は最近、日本カトリック神学院東京キャンパスから浜串教会に電話がありまして、『月の静修を引き受けてくれ』という依頼があったんです。わたしは当然、自分に依頼されたものだと思い、よく考えた上で『わたしでよければ』と言って引き受けました。」
▼「東京キャンパスで働いている鹿児島教区のN師は、人事異動があったことを知らなかったようで、浜串に中田先輩がいるものだと思い込んで電話をしていたそうです。わたしに名前を聞いてくる雰囲気でもなかったので、まさか人違いで依頼しているとは思わず、引き受けたのです。」
▼「ところが今朝、長崎教区から東京キャンパスに派遣されているN師と月の静修の確認をしてみて、お互い間違いに気づいたんです。東京キャンパス側は中田先輩に依頼しているつもりでした。引き受けたのはわたしですが、東京キャンパス側としては中田先輩が受けてくれたことになっているんです。お分かりでしょうか?」
▼「知らん知らん。俺は知らん。」「先輩。そう言わずに、ぜひ東京に行って務めを果たして来てもらえませんか?」「お前が引き受けたんだろう?お前が行けよ。」この時点でわたしは笑いが止まらなくなっていた。一度も内容を聞かず、返事もしていないのにわたしは東京で講話をすることが決まった。父イサクから祝福をだまし取るヤコブの物語を思い出した。



15/06/05(No.831)

▼こちらに来てからナイターソフトの「アンジェラス」というチームに加わり、試合に出ている。レベルの高いチームもそうでないチームも混ざったリーグ戦だが、アンジェラスチームは勝ったり負けたりの普通レベルのチームだ。
▼今年のリーグが開幕してアンジェラスは3試合消化した。わたしは初戦と第3戦に参加。第2戦はコールド勝ちしたそうだが、あいにく教区司祭黙想会で不参加。参加した2戦で味わったことを分かち合いたい。
▼まず、ナイターゲームに生まれて初めて参加したということ。守備も攻撃も、ボールの距離感がいまいち分からない。特に打席。ボールが自分の打てるゾーンに来る前に思い切りスイングして、初戦の第一打席は空振り三振してしまった。
▼結局初戦は3打席回ってきて、残り2打席はボールの上をこすったボテボテのゴロ。しかし懸命に走ったおかげでセーフになり、3打数2安打の結果となった。この日は接戦だったが、あと少しのところで試合を落としてしまい、残念な結果に終わった。
▼第3戦目。この日は初回にどちらも点数が入り、乱打戦の雰囲気だったが、実際はコールドゲームで大敗してしまった。わたしは守備で外野フライを一つ取り損ね、一つ好捕した。わたしの守備は試合の大きな流れには影響なかったが、相手は強打のチームだったらしい。ランナーをためてはセンター方向にこれでもかと長打を打ち、大量失点になる。その繰り返しで5回表には10対3で、5回裏に1点取らなければコールドゲームで試合終了である。
▼5回裏、先頭バッターでわたしは打席に立つ。初球、絶好球だったのに見逃し。「しまった」と思いつつ3球目を打つ。一塁強襲。一塁手がボールをこぼしたのが見えたので懸命に走ってセーフ。次の打者のファウルフライで三塁手が触った後にボールが客席に入る。ルールはよく分からないが「テイクワンベース」と宣告され、自分は二塁に進塁。
▼次の打者が内野を越えるヒットを打った。わたしは「1点取らなければ次の回に進めない。あとの打者がわたしを返してくれるとは限らない。」そう判断して三塁で止まらずホームに突っ込んだ。三塁コーチの、今年新司祭になった人のお父さんには「ストップ!止まれ!」と言われたが無視してホームへ。
▼結局ボールはホームに戻らず、余裕でセーフ。この1点でかろうじて次の6回に進んだのだが、相手チームにさらに5点取られ、1点しか返すことができず、15対4で大敗した。



15/06/12(No.832)

▼メインのパソコンを支えているハードディスクが故障を抱えているという結論に達し、ハードディスクのクローンを作成して換装した。作業はそう難しいものではないが、「いよいよ換装する必要があるな」と断定するまで無駄な時間を消費したと反省している。
▼きっかけは先月に遡る。パソコンにいつものように電源を入れるがマウスが反応しない。パスワード入力の画面に移るワンクリックができない。マウスがだめならと、キーボードのエンターキーを押すがこれも反応なし。
▼滅多にしないことだが、電源スイッチを長押しして強制的に電源を落とし、再起動するといつものように動いた。だからハードディスクの異常を見落としてしまった。この時点でハードディスクを疑っておけば、無駄なストレスを感じなくてもよかっただろう。
▼次に問題が発生したのは説教作成中だった。司祭館のチャイムが鳴ったので玄関に行って対応して部屋に戻った。するとパソコンがフリーズしている。「何だこれは?」首をひねったが、保存するにもマウスが動かない。だがある程度書いた原稿を取り戻せなくなるのは悔しい。それでも背に腹は代えられず、電源スイッチの長押し。強制的に電源を落として再度立ち上げる。
▼今回はワード2013以上の標準機能でバックアップされたものを利用できた。だがこうした不審なトラブル・ちょっと目を離した隙のフリーズが頻発するようになり、だんだんパソコンの内部を疑い始める。まず考えられるのはハードディスクだ。だがここでも、だましだまし使うことを選んでしまう。
▼しかしだましだましでもハードディスクが言うことを聞かなくなってきた。そのたびに強制的に電源を落とす。何回も繰り返せば、ハードディスクに傷がついても不思議ではない。週に何度かだったトラブルは1日に何度か起こるようになり、しまいには1時間に2度3度パソコンが凍り付き、電源を落とすようになった。
▼ここまできてようやく、「ハードディスクを換装するか」と決心する。デスクトップパソコンの側面のカバーを取り外し、ハードディスクを取り出し、容量が同じでまっさらのハードディスク(なぜこんなものがあるかを説明する暇はない)にそっくりクローンコピーして換装した。
▼今のところ問題なく動いている。だが用心に越したことはない。このパソコンは少なくとも7年は酷使してきたのだから、そろそろ買い替え時である。次はオールインワンのタイプか、あるいは最新のノートパソコンを探しておこう。オールインワンが欲しいな。



15/06/19(No.833)

▼東京都知事が辞職した。辞職した知事を見て、ふと松坂慶子さんの歌で替え歌が浮かんだ。「これも公務、あれも公務、たぶん公務、きっと公務。」わたしはあの知事がしぶとく居座ってくれたらなぁと思っていた。そうすればわたしが週に3回釣りに行っても「これも公務、あれも公務、たぶん公務、きっと公務」と言い張ることができたのになぁと、残念でならない。もちろんこの通り実行するかは別だが。
▼「火事と喧嘩は江戸の華」だそうだが、これに「選挙」も加えていいかもしれない。都知事選挙はいつも全国民が見守る首長選挙になっている。お金も相当必要だろうが、話題性と、今後の活躍次第では、お金に見合う実を結んでくれることも考えられる。そうであるなら、たとえ急な選挙でも、日本中の注目を浴びて堂々と選挙を戦い抜いた人が職務を担ってほしい。
▼そろそろ、前任地の浜串に顔を出してみようかと考えているところ。理由は2つあって、1つは漁港に係留して出て行ったボートのこと。どうなったかなぁとちょっと気になっている。聞くところでは今は陸揚げされて使うことのないまま保管されているらしい。後任に名義変更をしたのでボートの所有者はわたしではないが、わたしが使わないと誰も使わないらしい。
▼もう1つは、積み残しになっていた仕事のこと。新しい聖櫃が無事に浜串教会聖堂に納められている。この聖櫃をわたしは見ることなく出発してしまったので、ぜひこの目で見たい。だいたいの想像はついているが、この目で見ないとやはり安心できない。それにこの聖櫃のために寄付してくださった方々もいて、写真を準備してもう一度報告をしたいからだ。
▼だがいざ出かけるとなると緊張する。もう2ヶ月も経ったのでよそ者なのだが、気恥ずかしいという思いもある。できればボートを利用できるタイミングで浜串にお邪魔したいが、この時期の天気は気まぐれだ。果たしてどうなることだろうか。



15/06/26(No.834)

▼ゆうちょダイレクト。利用している人もいるかもしれないが、送金機能が重宝する。直接郵便局に行く必要もないし、ATMに設定されているような送金限度額を気にする必要もない。最近ゆうちょダイレクトに頼りっきりなのでよく知らないが、ATMによる送金限度額は10万円程度ではないか。
▼少なくとも長崎教区では、「教区費」というものを小教区から振り込む必要がある。教区費は中規模の小教区ともなれば月額10万円はすぐに超える。通常は窓口からの送金になるわけだが、主任司祭は面倒くさがり屋が多いわけで、年間12回も窓口に送金のお願いに行きたくはない。
▼ほかにも教区への送金が必要なものがいろいろある。年に6回の特別献金(例えば「聖ペトロ使徒座への献金」)、厚生年金の掛け金、司祭年金、聖職者費。さまざまあってそれを定期的に窓口送金、ATM送金いずれかで処理するが、少なくともわたしは「面倒くさい」と感じる。
▼そこで「ゆうちょダイレクト」だ。パソコン上で処理が完了する。振り込み用紙のように毎回払い込み人の住所氏名を書く必要もない。「振り込みに行かなきゃ。しまった、もう午後4時過ぎた!」このように時間に縛られることもない。基本的に面倒くさがり屋の長崎教区司祭にはぴったりだと思っている。
▼実は「ゆうちょダイレクト」機能が、どんな通帳に付加できるのかを調べたり尋ねたりしたことがなかったので、これまでは個人の通帳に付加していたゆうちょダイレクトで送金し、適当なタイミングで送金した分を教会名義の通帳から引き出していた。
▼ところが近くの郵便局窓口で思い切って尋ねてみると、説明すらなく、「この申込用紙で申し込んでポストに投函してください」という返事だった。説明くらいしてくれてもいいのにと思ったが、結果的に「カトリック○○教会」名義の通帳でも問題なくゆうちょダイレクト機能が付加できることが分かった。
▼一つ問題があるとすれば、教会名義の通帳は数年経てば代表者が変更になるということだ。今はわたしが代表者になっているカトリック田平教会名義の通帳だが、代表者が代わったら、ゆうちょダイレクトの変更届が必要になるだろう。ずっと先だが。



15/07/03(No.835)

▼土曜日。一日のうちに面白いことがいくつも重なった。朝9時、太田尾(大島崎戸)時代の信徒からの電話があり、「どうしてる?観光バスの運転手をしていて、今日そっちに行くからね。船にはなかなか乗れてないだろう?」とねぎらってもらった。
▼その10分後、田平の信徒から「釣りが好きで、船に乗るなら、わたしの船を今日見に行かないか?」という電話。「渡りに船」とはこのことだ。「喜んで見せてもらいます」と返事をして、午後から船の視察に行く約束をした。
▼その10分後。前任地の浜串に今度はわたしから電話。「期日前投票を名目に釣りに行くので、○○さんにお願いして船を降ろしてもらってほしい。」「いいですよ。」これで選挙以外にも五島に行く楽しみが増えた。家族の顔を見て、浜串の人たちの顔を見ることにしよう。
▼7月3日が聖トマスの霊名の祝い。わたしは2日に子供たちから前祝いを受け、顔が緩みっぱなし。50歳にもなると小学生は孫のようなものだ。目に入れても痛くないと言うらしいが、さすがにそこまでは感じなかった。



15/07/10(No.836)

▼転勤して初めて前任地の教会に行った。期日前投票を名目にして、釣りも楽しむためである。浜串では喜んで会いに来てくれる人がいて、懐かしさと、人のやさしさに触れた。お土産ももらい、いつまでも覚えてくれて心にかけてくれる人たちがいるのだと感心した。
▼前もってお願いしていた人にボートを海に浮かべてもらっていたので、ギリギリまで釣りを楽しむことができた。勝手知ったる、という感じの海で、イメージ通りの釣りができたが、マダイを釣ることはかなわなかった。最終的にイトヨリを10匹くらいと、その他の魚を釣っただろうか。
▼「レンタカーを魚釣りに利用しないでください」と、貸主からきつく言われていたので、せめて臭いを極力残さないようにと、釣りを終えてからすぐに司祭館に立ち寄り、着替えさせてもらい、道具類も手早く水洗いして、臭いがこもらないように注意した。ローカルルールなのか、レンタカーを借りる条件に「魚釣りの使用禁止」という話は初めて聞いた。
▼前任地に行ったのはもちろん釣りだけではない。在任中に終わらせることができなかった「故障した聖櫃を新しいものに入れ替える」計画が無事に終えているかを確かめるためだった。聖櫃は立派なものが納入され、聖堂内に設置されていた。三か月前までここにいたわけだが、新しい聖櫃の前にひざまずいてみると、やはり違う土地からやってきたような気分になった。






15/07/17(No.837)

▼7月16日夜、地域の「夏祭り」が開催され、保育園は園児たちの太鼓の披露を依頼されているそうで、駆り出されるという。そのあおりを受けて、わたしは久しぶりに小学1年生の要理の代用教員を務めることになっている。どうなることやら。
▼「夏祭り」は天気が大いに影響する。16日の朝ミサの帰り、典礼委員長の男性とこの日の晩の天気の話になり、「どうせ雨だろうよ」とわたしが切り捨てたところ典礼委員長はとっさに顔色を変えた。
▼「だめですよ神父さま。そんなことを平気で言っちゃ。こんな時は『晴れるといいですね』とお世辞でも言うもんです」と言われた。しかも保育園に勤めるシスターのところに飛んで行って、「晴れるといいですね」とわたしに聞こえるくらいの声で言っていた。そんなごまをすっても、天気が変わるはずもないのに、と思う。
▼説教でも触れたが、ノートパソコンのLANケーブルを差し込むコネクタがショートしたらしい。なんと恐ろしい雷だろうか。無線LANでつながることはつながるが、速度が落ちるのではないかと心配している。ただでさえADSLの速度にへきえきしているのに、それ以上に速度が落ちるなら、もうネット上の宣教活動である音声のアップロードはできなくなる可能性がある。もちろんメルマガには影響ない。
▼どうやら雷で年に1度とか2度、被害の出る地域らしい。毎度毎度パソコンを破壊されていてはたまったものではない。電源につながないことで、おそらく被害は最小限に抑えられると思うから、仕事を後回しにしてでもパソコンを守ることにしよう。



15/07/24(No.838)

▼久しぶりに



15/07/31(No.839)

▼久しぶりに



15/08/07(No.840)

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15/08/15(No.842)

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15/05/08(No.827)

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15/05/15(No.828)

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15/05/01(No.826)

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15/05/08(No.827)

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15/05/15(No.828)





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15/05/01(No.826)

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15/05/08(No.827)

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15/05/15(No.828)

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