君たちの仕事は意義深い!
デュアルシステム専門学校生徒への講話(若い人たちだなぁ・・・がんばれ〜)
結婚・葬式に関わる皆さんへ

長崎デュアルシステム専門学校 1・2年生合同宿泊研修講話

馬込教会にて 中田輝次神父


自己紹介
●1992年に司祭になり、現在17年目。浦上教会で5年、滑石教会で1年、西海市大島の太田尾教会で6年、馬込教会で5年、現在に至る。

●今日の話との関連では、特に浦上教会時代にたくさんの結婚式、また葬式を経験させてもらいました。
●結婚する人も、家族とお別れしていく人も、誰一人としてまったく同じ人はいないので、何か、その人と関わった中での個人的な思い出を説教に添えるようにしました。

●例えば、挙式するカップルと当日まで結婚についてのキリスト教的な意義や役割を勉強会の時間を持って学ぶことにしていますが、そんな中で趣味の話になって、釣りの話でちょっと接点を持つことができたカップルがいました。このカップルの挙式当日の説教で、釣りの話をしたことがあります。

●または、葬儀の説教をする際、その方が晩年長い闘病生活をしていたことを聞き、「ささげもの」という観点から葬儀の説教をしたことがあります。

●今話したたとえは、皆さんが直接役立てることはないかも知れません。ただ、わたしが説教を準備する時の姿勢については、参考になることもあると思います。
●わたしは、その人たちが大切だと考えているもの、その人たちにとって、また本人の家族にとって価値があると思っているものを、自分も大切なものだと考えていますという気持ちを伝える工夫をしているということです。
●仮に、「あなたが大切に思っていることは、客観的にはほとんど何の価値もない」と否定してしまったら、結婚する人、葬儀で送り出す人との関係は険悪なものになってしまいます。どうしても価値観が合わない方であったとしても、その人の何かを確実に捉えて、価値あるものとして示してあげるのがわたしの務めだと思っています。腕の見せ所と言ってもよいかも知れません。
まずは、わたし自身が結婚式、葬式に立ち会う中で心がけている点をお話ししてみました。



●ここから少し話を変えて、わたしが経験してきたことから、お役に立つかも知れないなぁと思うことをいろいろ並べてみたいと思います。
●まず、結婚式、葬式ともに、意識しておくべき時間の軸があると思います。(1)直前、(2)当日、(3)1年後です。
(1)直前と言ったのは、結婚式であればリハーサルです。葬式であれば通夜です。どちらも、直前が一つの大きなヤマ場となるということが分かります。
●結婚式のリハーサルは、安心して挙式当日を迎えるために大切です。最終確認しておくべきことはないか、今ここまで来て、忘れていること、連絡は行き渡っているか、変更はないか、それらを直前までに解決しなければなりません。どうか、たずさわる皆さんが、リハーサルに臨んで緊張しているカップルの力になってあげてください。
●葬式で直前に臨む場面は通夜です。通夜の場面からが、お手伝いの大切な場面になってきます。ご遺族は動揺しているのではないか、気が動転して、普通では考えられないような言葉や態度に出ていないだろうか。そんな遺族の力になってあげられるかもしれません。
両方共に、直前の場面からわたしたちが果たす役割は大きいと考えたほうがよいと思います。
●直前の行事に一般的に見られることを振り返ってみましたが、生徒さんが今後現場に立つと、この直前の行事からが特に重要だと思います。直前の行事からが、担当する方々と深く関わることになるからです。そこで、大切な心がけを示しておきましょう。
●その、大切な心がけとは、「その人の人生を認めてあげること」です。結婚するカップルであれば、いよいよリハーサルを迎えることになった。この日までのお二人の人生を、まずは担当するあなた方が、認めてあげることだと思います。「こんなカップルでも結婚していいのか」とか、「こんなことも知らないで結婚するつもりなのか」とか、否定してはいけないと思います。もし何かを言ってあげる必要がある場合でも、その二人のこれまでの歩みを認めてあげて声をかける場合と、これまでの人生を尊重しないで何かを言うのとでは、伝わり方が全然違ってくると思います。
●葬式を出す遺族に対しても同じことが言えます。亡くなられた方の人生を、まずは皆さんが認めてあげてください。亡くなった理由は人さまざまですから、もしかしたら不自然な亡くなりかたをした人もいるかも知れません。失望したまま、この世を去っていった人もいるかも知れません。遺族はその人の亡くなりかたを気にしているかも知れない。そんな時、真っ先に皆さんが、亡くなった人の人生を、立派に生きたのだと認めてあげる。そうすると、ご遺族の方々と良好な関係を築くことができるのではないでしょうか。
●これまでの人生を認めてもらっていると感じたら、相手の方は皆さんを心から信頼して相談してくれると思います。頼ってもらえるというのはすばらしいことです。ほとんどの場合、担当することになった職員と、式を受ける相手の方とは初対面でしょう。そんな中で、すばらしい結婚式だった、よい葬式だったと本人たちが思えるためには、わたしたちが相手の人生を十分に認めてあげること。ここから始まると思います。



(2)次に、わたしたちが接する中でいちばんの中心になるのは当日のお世話です。一番大事だということはだれでも分かっていますが、そんな中で自分たちがどういう心構えでいれば接する方々のお役に立てるのかを知っておくべきです。
●それは、「決して慌てないで、落ち着いていること」です。結婚をする当事者は、直前までの忙しい準備に追われて、落ち着いて、リラックスして当日の式を迎える心境になっていない場合がしばしばあります。わたしはリハーサルをする中で、当事者に必ずこう言うことにしています。「挙式そのものはわたしが責任を持ちますから、安心してください。そのほかで、心配なことはありますか。」
●こう言うと、ほとんどの方が安心します。もしも自分たちが舞い上がってしまっても、司祭が落ち着いてリードしてくれるから大丈夫だ。それが心の支えになるのです。ぜひ皆さんも、「大丈夫。挙式の流れについては、わたしがついていますから。」そう声をかけてあげることができるようになってほしいと思います。
●葬式についても同じことが言えます。前の日の通夜から、一睡もしていない場合もあります。そんな遺族のことを心にかけてください。そして、「大丈夫です。わたしたちがついていますから、立派に送り出すことができますよ。」そんな声をかけて上げられるように、自分の任せられる仕事に磨きをかけてほしいと思います。どんなトラブルが発生しても、担当している人が慌ててはいけません。きっと解決できますよ、安心してくださいと、皆さんが声をかけて上げる必要があると思います。
●どの方々も、担当者となったことで初めて出会って、式を終えればおそらくもう二度と会うことはありません。そんな中で、ここで式をお願いしてよかった、この人が担当者になってくれてよかったと思われるコツは必ずあると思います。ぜひ、先輩方の心構えや工夫を学んだりして、信頼される人になってほしいと思います。

●当日の式典を意義あるものとする一つの考え方を示しておきましょう。それは、「未来に希望を与える式典にしてあげること」です。結婚するカップルには、応援していますという気持ちが伝わるようにして上げるとよいでしょう。また、家族の中からだれかを失い、送らなければならない葬式に際しては、旅立っていく人には希望が残されていることをいつでも伝えることができるように、準備はしておいてほしいと思います。
●そこで大切になってくるのは、死生観(しせいかん)だと思います。わたしたちが今来ているこの時間は、希望を持つことのできる時間だということ、また、この世を旅立つ人にとって、旅立った先は、希望を持つことができるのだという考え方です。
●まず、ここで正直な気持ちを申し上げますが、未来に希望はないと感じておられる方々は、結婚式のお世話、葬式のお世話に向いていないかも知れません。これから共同生活を始める方々の門出に立ち会う人が、未来に希望を持っていない人だとしたら、結婚の準備をしているカップルにどんなお手伝いができるでしょうか。また、「死後は何も存在しません。希望も絶望もありません」と考えている人が、家族を送り出すことで力を落としているさなかに、どんなお手伝いができるでしょうか。手伝いなんてできるはずがないと思います。
●ですから、お一人お一人、未来には希望があるという信念を育てる努力をしてほしいと思います。皆さまが何を信じ、どんなことに価値を置く人であるかは、それぞれ違いがあるでしょう。
●中田神父は、キリスト教、特にカトリック教会の信仰に価値を見いだして、この信仰に基礎をおいて生活全般を見渡すように心がけています。わたしはそうですが、皆さまにそれを押しつけるつもりはありません。ただ、わたしとは信条も価値観も違っているかも知れませんが、未来に希望があるという考え方では共通理解を持てたらいいなぁと思っています。
●この講話の始めにちょっと触れましたが、わたしは結婚式に際しても、葬式に際しても、未来に希望を持てるような話を何とか参列している人に伝えたいと願って式の中での説教をし続けています。結婚式に参列する方の中には、教会での結婚式をパーティーと同等に考えている参列者もいて、わたしから大目玉を食らう人もいますが、そういう体験もまた、結婚式は単にはしゃぐイベントではなくて、ここで未来への希望を確認し合う場なのだと思い起こす機会になっているのではないかなと思います。
●葬式の参列者はもっとその思いを深めることでしょう。家族を失い、お別れしなければならないのですから、希望はそこに見えないのではないかと思いがちです。そんなご遺族にも、亡くなった人の未来に、希望を託してもいいのかなと思ってもらえるように話を進めます。
●参考までに、お話ししますと、キリスト教の信仰は、特に希望のない所に希望を置く力を持っていると思っています。なぜなら、キリスト教の信仰の根本は、キリストの復活を信じることにあるからです。死んで、復活し、すべての人の希望となってくださった。そこに信仰の土台があるので、希望の持てない場面にも、希望を持つ力が与えられるわけです。
●できることなら、ご自分の信じている価値観の中で、自分の生き方を決める土台になっている考えは、希望のない所にも希望を持つだけの力があるだろうかと、たまには考えてみたらいいと思います。自分自身が、未来に希望を持てると信じているなら、その信念は、だれかのお手伝いをする時に―――結婚する人や、葬式で人を送る遺族―――彼らのお手伝いをする時に、未来への希望のためにお手伝いする力の源となってくれると思います。



(3)わたしたちが式典当日を終えて無事に送り出した後、もう一つ考えて欲しいのは、自分たちが関わった人が1年後どうなっているかなぁということです。わたしはこの点で、苦い体験をしたことがあります。
●今から7年ほど前のことでしょうか。佐世保駅のすぐ近くに、カトリックの教会で三浦町教会があります。わたしは当時耳の聞こえない方々の信仰面でのお世話に協力していましたので、月に1度、佐世保市内のどこかの教会で手話のミサをささげていました。そのミサには、耳の聞こえない方ばかりではなくて、もちろんふだんミサに参加する人も集まってくるわけですが、そのミサが終わって参列者が帰る時、ある親子が近づいてきてくれたんです。
●「こんばんは。」若いそのご夫婦があいさつしてくれました。小さな女の子の手を引いていましたので、ここは女の子を褒めて、会話を続けようと思い、「かわいい子だねぇ。いくつ?あーそうなんだ。3つかぁ。」そんな会話から始まったんです。
●その時ご主人がわたしにこう言いました。「神父さま、わたしたちのこと覚えていますか?」手話のミサは日曜日の夜にすることが多かったので、夜のあいさつでもあったし、はっきり記憶もないものですから、「えーっと、どなたでしたっけ?」と聞き返したのです。
●「○○です。浦上教会時代に、神父さまから結婚講座を受けて、式を挙げてもらいました。覚えてませんか?」残念ながら、わたしはその当時の記憶が思い出せず、何かとっかかりになるような思い出でも出てくればよかったのですが、何も具体的なことは思い出せませんでした。「そっかぁ、大きな教会だったし、覚えてないのもしかたないですね。神父さまこれからも元気でがんばってください。」
●わたしはそうやってにこやかにあいさつして帰っていった若い夫婦を、呆然と見送ったのでした。どうして何も思い出せなかったのだろうか。どうして名前だけでも思い出せなかったのだろうか。ものすごく悔やみました。その時の体験が苦い経験となって、どんな小さなことでもいいから、その人のことをあとで思い出せるように記録したり記憶にとどめるようにしようと誓ったのです。
●皆さまも、わたしの苦い体験を他人事と思わずに、これからの働きの中に生かしてもらえたらなぁと思います。結婚のためにやってくるカップルも、葬儀のために関わったご家族の方々も、もう二度と自分たちのことを思い出すことはないかも知れません。それでも、少なくとも1年間は、関わった方々のことを覚えていたほうがいいと思います。
●もしかして結婚したカップルにはお子さんが生まれて家族になっているかも知れませんし、葬儀を出した家族は1周忌を迎えて法事をお願いに来るかも知れません。1年、覚えていることで、もしもその方々と1年後に再会したら、名前を覚えてくれていることをどんなに喜んでくれるでしょうか。
●縁というのは不思議なものです。わたしはキリスト教の信仰の中に育ったので、縁起が良いとか縁起が悪いとかにあまりこだわりはありませんが、それでも「不思議な縁だなぁ」と思うことはいろいろありました。
●今わたしは、伊王島の馬込教会で働いていますが、わたしが司祭になりたての頃、伊王島出身の女性と長崎市の男性との結婚式を浦上教会で引き受けていました。当時のことをすべて話すととても1時間では話せませんが、船の最終便があるので何時何分までに勉強を終わってほしいと頼まれ、不便な土地に住んでいるなぁとかわいそうに思ったものでした。今わたしはその伊王島に赴任していて、結婚したその夫婦ともよく里帰りしてきた時に当時のことを話します。かわいい女の子もいて、どこでどう繋がるか分からないよねぇとつくづく思うのです。
●また、わたしの本家は中田家ですが、中田家の親戚には、この伊王島から嫁いで中田家に入った方もいます。わたしはこの島に赴任してくるまで、そのことをまったく知りませんでした。どこで繋がっていくか分からないです。そういう意味で、わたしたちは出会った人を大切に記憶してあげたほうがいいと思います。
●もちろん、会社は忙しく、次から次にベルトコンベヤーのように結婚式も葬式もこなさなければならないかも知れません。そんな状況ではではそこまで関わった人のことを1年間覚えて上げるようにとそこまでは要求されないかも知れませんが、損はしないと思います。



【まとめ】いろいろ難しいことを言いましたが、もっと簡単に言い切ってしまうとこういうことかも知れません。それは、結婚式であれば「幸せになってね」「幸せになります」という場面を十分に作ってあげるお手伝いをしてくださいということです。参列者が「幸せになってね」と言葉や態度や贈り物その他で当事者に伝えるためのプランを考える。また、当事者のカップルが「幸せになります」との決意を参列者に伝える十分な場面をセットしてあげる。そのために惜しまず協力することです。
●あるいは葬式であれば、「さようなら」を十分にさせてあげることだと思います。遺族側からも、亡くなって旅立つご本人様も、「さようなら」を十分にしてもらって旅立つ。そのためにできること、ご遺族が希望していることに、親身になって相談に乗ってあげて欲しいです。もちろん、これまで話した通り、「さようなら」というのはただの悲しい別れではありません。「さようならしたくない」とすがる「さようなら」ではなく、未来に希望があるので、「さようなら」と見送ることができるということです。



●あと、これから話すことは必要だなと思ったら心に留めていたらいいと思います。根本的なことではないと思いますので、ここからは楽に聞いてください。どうしても、結婚式・葬式には司祭や僧侶が関わることが多いと思います。そのことを十分分かった上で、こうして講話を聞いているのだと受け止めていますが、皆さんが入っていく職場、どこかの結婚式場の会社、葬儀社、自分たちの会社をどのように見ているかは自分で把握しておいたほうがいいと思います。
●何が言いたいかと言いますと、例えば結婚式が教会で行われ、担当者のあなたも出席しているとします。会社のことを好意的に受け止めている神父さまなのかそうでないのか、確かめてみたほうがいいと思います。中には、教会での結婚式は司祭の出番であって、結婚式場の担当者がウロウロして欲しくないと思っているかも知れません。
●また、葬儀の時もそうですが、教会での葬儀で葬儀社の担当者がちょろちょろ出たり入ったりするのを良く思っていない司祭もいます。確かめておいたほうがいいと思います。自分たちが、どれくらい動いてもらいたいと司祭や僧侶に思われているか。やはり行き違いがあるとそれはずっと誤解を受ける可能性もありますので、勇気を出して「今回の(結婚式)葬儀はお世話になります。何かお手伝いすることがあったら仰ってください。」そう言っておくと、良好な関係を保つことができるでしょう。
●ぜひ、新しい門出に立つ方々を、また地上での生活を終えて旅立っていく方々を、希望のうちに見送るために、精一杯学んでください。そして、実際のケースに接して、現場で多くのことを学んでください。しばしば具体的に担当した方々から学ぶことが、貴重な学びとなっていくと思います。わたしも、実際の結婚式、葬式の中で学ぶことがはるかに多かったと感じています。
●生徒お一人お一人のために、わたしもお祈りして応援いたします。今日はありがとうございました。